「この女がどうなっても良いのかよッ!」

憐れ生き残りの、怯えながらの精一杯の威嚇。
通用するわけもない。

「世界を救うなんて下らねえ理想は捨てて、ベッドで大人しくおねんねしてろ」

――パシュッ。
乾いた音と共に私の脇を銃弾が掠めると、背後にあった男の体が痙攣して私は解放された。

静かなると、グラムは再び煙草を手にベッドへと腰掛ける。
思っていたよりずっと呆気なかった救出劇に、私は未だ現実味を感じられずにいた。
煙草の小さな火に照らされたグラムの金髪を、もやがかかった頭でぼんやりと眺めている。
反してグラムは懐から携帯電話を取り出した。数回のコール音が静かな部屋に遠慮なく鳴り響く。

「――ハジ?あぁ、俺。連続殺人犯、逮捕しに来いよ。……あ?リナの部屋。あぁ、良いとこのボンボンが四名。全員拳銃所持。巻き込まれた一般市民が一名。薬漬けにされてる。脅されて利用されたんだと。救護班も頼む。……は、無事に決まってんだろ。ウゼェよ、仕事しろボケ」

的確な情報を言い終えると、用済みだと言わんばかりに携帯を放り出した。
未だ呆然と立ち尽くしたままそれを聞いていた私は些かの疑問を抱き眉を寄せる。

「ねぇ」
「あ?」

グラムは煙草を美味そうに飲みながら視線を寄越す。
久々の灰緑は暗闇に紛れて融けてしまいそうだ。

「あんた、一体いつから見てたわけ?」

途中参戦のこの男が明らかに知るはずのない情報を、今まさに、この男は口にしたのだ。

「……テメェが玄関のドア蹴ったとこらへん」

少し考える素振りを見せて、肩を竦めた金髪に静かな殺意が芽生える。

「命の恩人が危ない目に遭ってたってのに、呑気に見物?」

近付いてグラムの咥えていた煙草を取り上げた。
香りが私のものと同じだったことに少なからず驚愕したが、今はいかんせんそれどころじゃない。

「タイミング見てたんだよ。多勢に無勢だから、全員が一カ所に固まるまで」

いけしゃあしゃあとよく言う。

「……最低」

低く吐き捨てれば、グラムも眉を釣り上げて反論してきた。

「ちゃんと助けただろ。礼くらい素直に言えよ、ボケ女」

口の悪さは相変わらずお互い様らしい、このクソ猫。

「私がビビる様見て楽しんでたバカにくれてやる礼はない」

グラムから顔を逸らした私の腰に、数秒してグラムの腕が回ってきた。
ぐ、と引き寄せられて、腰掛けているグラムの両足の間に連れ込まれる。

「ちょっと、なに」

心臓が跳ねる。
回された腕の力強さに、保護を必要としていた傷だらけの獣はもういないのだと少し悲しくなった。

「オマエさ」

腹に顔を埋めて喋るものだからから堪らない。
皮膚を通じて内臓が振動する擽ったさに身を捩りつつ耳を傾けた。
あんな別れ方をして、何事もなかったかの様に触れ合っているから不思議だ。
あれだけ逢いたいと願っていたのに、涙すら滲まない。

「銃構えといて、なんで撃たねぇんだよ」

掠れた声で言われた台詞は、甘さのあの字も見つからない。なんて陳腐な。
グラムの真意が掴めぬまま、腹に顔を寄せているヤツのつむじを見下ろした。

「……当てる自信なんかないよ」

言えば、突然グラムは立ち上がり、私はその勢いで体を後ろへと反らすハメになった。

「うるせぇ!撃たなきゃ折角の銃もただのガラクタだろうが!なんの為に置いてったと思ってんだよこのクソアマ!」

至近距離で頭ごなしに怒鳴られた私は片眉を上げる。

(無駄に偉そうな態度は変わらない)

「私に撃たせないために、あんたは来たんじゃないの?」

その言葉に、今度はグラムが不愉快そうに片眉を上げる。
鏡のように互いを映し出して突つきあって、反応を窺っている。

馬鹿が二匹。

「……自惚れんな」

呆れ気味に吐き出されたそれを合図に、説教をおっ始めたグラムに一層体が重くなる。
なにこれ。グラムも癖っ毛テリも、お母さん並みに口煩い。

「……あぁもう、解ったから、ごめんて」

受ける意味が解らない説教にぐったりと肩を下ろしベッドへと倒れ込んだ。
疲れた。
殴られた頬が痛い。

「……リナ」

グラムの腕が俯せの私の肩を持ち上げる。
やめてよ、グラム。
説教なら後で聞くから、今は寝かせて。

しかし胸中の訴えは完全に無視された。

「……っ」

離せバカ、と口にする前に私の唇にグラムの唇がぶつかってきた。
あまりの荒々しさに、互いの前歯がガチリと鳴きあう。

慣れ親しんだ煙草の香りが咥内に滑り込み、気持ちが自然と落ち着いていくのが解った。
グラムがいなくなったこの部屋で、何度吸ってもまるで他人のもののようだった煙草の香りが、急になじむ。
傷の凹凸もない、滑らかな唇の感触。
口の中を荒らしても、グラムはもう呻かない。

どこかつまらないと思いながら、キスに溺れている自分が可笑しかった。

スムーズに動くグラムの指が私の髪を弄る。
それに応えるように、私はグラムの背中を両腕で撫でた。傷に呻きもしないし、鳴きもしない。

傷すら、ない。
密着した胸から、心音が伝わる。

――生きてる。

痛みに艶やかな悲鳴を上げる事はなくなった。
それが、たまらなく悲しくて、たまらなく嬉しい。

グラムの指が、私の耳朶を擦る。
優しい仕草は、相変わらずこの猫には似合わない。

「リナ……」

掠れた声に堪らなくなって目を開けたら、夢にまで見た灰緑とぶつかった。

「泣いてんじゃねぇよ」

静かに唇が分裂して、完全に離れる間際。
私は眼の奥の熱を閉じ込めることもせず、私を真っ直ぐに見下ろしているグラムを見る。

おかしい。
ほんの少しの、たった数日間の空白は、私を燃え上がらせるには充分だったらしい。
込み上げてくる嗚咽を隠そうと、グラムの襟首を乱暴に引っ付かんで引き寄せた。

「っ、」

グラムの肩に顔を押し付けて唇を噛んで。
しゃくりあげるなんて情けなくて、縋らなきゃ生きてけない弱い女みたいにはなりたくないし、見られたくもない。
それでも涙は溢れるから、声を抑えるだけが精一杯の強がりだ。

「リナ」

肩に縋ったまま震える私をその腕が抱き締める。
背中に回された腕に、耳元に押し付けられた唇に、痙攣してた胸が殊更に震えた。

――ねぇ、怖い、グラム。

あんたは今ちゃんと、此処にいるのに。
また何処かに行ってしまうだろう喪失感とか、あぁ、そうじゃなくて――。