「……っ、う、わあぁぁぁーーーーっっっ……!」


冷たい雨が降りしきる中、叫びながら走った。
無我夢中で、ただひたすら走り続けた。


『わすれていいから』


美乃の言葉が、頭の中で繰り返し響く。
どうしようもない気持ちも、彼女への想いも、なにもかも忘れてしまいたかった。


堕落していく自分が嫌で、自分で自分を殺したくなった。
それなのに……失ったと思っていた感情も、消したい思い出も、ちゃんと覚えていた。


こんな壊れた心でも、大切なものは忘れていない。
嬉しいのか悲しいのかわからない感情が渦巻き、その波から逃げるように必死に走ったけれど、俺はこの時も泣けなかった。


「タオル、これでいいか? まぁ、お前のもんだけどな……」


しばらくしてからずぶ濡れで帰宅すると、親方が玄関先に立っていた。
小さく頷いて、タオルを受け取る。


「お前、来週から戻って来い。朝、迎えに来るから。とりあえず、風邪ひくから風呂入れよ。それと、ちゃんと食え。そんなんじゃ、うちの仕事はできねぇぞ。……じゃあな」


親方は静かに立ち上がると、俺の肩にポンと手を置いた。
低い声に反し、その口調があまりにも優しくて、胸の奥が苦しくなる。


親方が帰ったあと、俺は言われた通り、風呂を沸かして入った。
熱いお湯が冷えた体を温めていく中、親方に言われたことをずっと考え、美乃の言葉も思い出していた。


『あんなに伊織のことをわかってくれる人、きっと他にいないよ? 大切にしてもらった分、伊織もちゃんと恩返しをしなきゃ』


恩返しができるほど、今の俺には余裕はない。
それでも、とりあえず仕事には戻ろうと思った。


理由は、“美乃が望んだこと”だから……。