彼女といえば、(よこしま)な苦悩などわかるはずもなく、憎らしいくらい気持ちよさそうに眠っている。

 (けが)れを知らない天使の寝顔。

 たとえ天使だろうと女神だろうと、こんな姿を目のあたりにして変な気を起こさない男がいるものか。いや、いない。いたとしたら、それは男ではない。

 しかし堪えろ。
 堪えねばならない。

 変な気を起こせば今度こそ『不可抗力』では済まない。騎士生命どころか命そのものが終わってしまう。

(なんの苦行だ、これは?)

 もういい。
 誤解されてもいいから起きてくれ。
 頼むから。
 鉄拳制裁ならば何度でも喰らおう。

 願いも空しく、依然として眠り続けていたが……

「……あ……」

 瑞々(みずみず)しい唇から再びかすかに声が零れた。けれど瞼は閉じられたまま。

 寝言だろうか。

「……さみ、しく……ない……の?」

 寂しくはない。泣きたい気分ではあるが。

「お歌……うたってあげる……」

 子守唄なら間に合っている。というか、起きろ。

「……お……父さ、ま……」
「!」

 言葉の後、瞼の奥から一粒の(しずく)がすぅーっと零れ落ちた。頬に一筋の流れを作る。
 やすらかだった寝顔を、せつなげな色に染めて。

(悲しい夢を、見ているのか? 亡くした父親を想って……)

 眠る天使の清らかな涙は、たった一粒で、邪な心を洗い流してしまった。
 けれど、今すぐ起こすことはできない。