紅芳記


石田治部少様が挙兵…。

そして、真田家は二分した。

一瞬だけ、頭が真っ白になった気が致しました。

ともかく、事態を整理しなくては。

まず、徳川内府様が会津の上杉家に向けて進軍した。

これが先月、水無月の事。

それに呼応して、全国の諸大名も会津に進軍。

真田家も今月の初めに出陣をして、徳川内府様の軍に合流するべく下野に向かっていた。

しかし、徳川内府様が大坂を空けた隙を狙って、石田治部少様が、今度は徳川内府様を討ち取るために挙兵した。

石田様の挙兵は、つい先日の文月十七日。

そして、真田家は徳川軍に加勢するために進軍していた道中の犬伏に、石田治部少様の密使が現れ、御味方するように訴えた。

石田様の密使が犬伏に到着したのは、二十一日。

そして話し合いの結果、我が殿は当初のまま徳川方に付き、大殿と源次郎殿は石田様に付いた。

すなわち、真田家が、殿と大殿が、敵味方に別れた、という事。

いえ、以前から豊臣恩顧の諸大名と内府様に近しい勢力との対立関係は、知ってはおりました。

そのため、万一に備えて私達は内府様と懇意にしていたのですもの。

しかし、それが現実になろうとは。

予測出来ていた事態とはいえ、驚きを隠せません。

されど、ここで城代たる私が揺らいでは、皆に不安が伝染して、さらに悪い方に進んでしまう事も考えられます。

手や額に汗が伝うのを感じながらも、必死に動揺を隠して、世都により詳しい情報を問いました。