紅芳記


そういえば、慶次殿がお訪ねになった時、昌親殿が殿の所まで取り次いでいてくれたと思い出します。

恐らくは私がお会いする前に、お二人はご覧になったのでしょう。

されど、なぜ直江山城守様の書状を慶次殿が、しかも殿達にお見せになったので
しょうか…。

「あれは天晴れな書状でございました。
内府様の上杉家に対する難癖を、はっきりと、潔く、一歩も引かずに返答しておりました。
内府様があの書状を口実に戦を仕掛けることすらも想定しているかのような、いいえ、内府様と正々堂々戦う覚悟を感じさせるほどのものでございました。」

内府様の上杉家に対する難癖とは、上杉家に上洛を求めるものや、国許の統治のやり方、街道や運河の整備を進んで行っていることが謀反の兆しだという由の詰問状のことでございます。

秀頼君を差し置いたその詰問状や、上洛の催促は天下が徳川の手中に収まりつつあることを思わせます。

つまりは、その詰問状に対する返答の書状の内容が、殿と昌親殿のご覧になった書状ということです。

「しかし、何故慶次殿がその書状の写しをお持ちだったのです?」

「ええ、内府様を相手取っても全く臆さないどころか立ち向かう程の名門上杉の誇り、清々しさ。
慶次様がいたく感心されておりましたようで、写しを持って見せているそうでございます。
上杉家も、直江山城守様も、ご覚悟あってあの書状を出されたのでしょうから、方々で見せていけばいくほど、上杉家の潔白を証明できるものと黙認しておいでなのではないでしょうか。
慶次様はあの書状を上方まで届ける役目も兼ねて武者修行に各地を歩き回っていたというわけでございます。」

「成る程、直江山城守様による返答書をご存知であったために、あの時はっきりと戦になると仰せだったのでございますね。」

「おそらく。」