紅芳記


それからしばらく経ち、3人目の子の戌の日の祝いが終わると、私と殿は信濃に帰ることとなりました。

真田一門にあたり城代家老を務めた矢沢頼綱が病となり様子が芳しくないことや、卯月に浅間山が噴火し被害が出たこともあり、国許にお帰りになることとなった殿に付き従う形となります。

ゆえに、まん、源之助、まさも連れて行くので思いがけず大所帯となってしまいました。

産女と乳飲み子がおりますゆえ、道中はかなりゆっくりとしたものとなりました。

殿は私達よりも早く沼田に着くようにと、共を連れて馬にて行かれます。

私達が城に着いたのは、殿よりも十日あまり遅れてのことでした。