「お前が戸惑うぐらいだ。真っ直ぐな男なんだろうな。お前も家の血をしっかり引いて、人を見る目はある」

「……い、や」

「大丈夫だ。自分に素直になれ」


兄の声が止まらない。
いつもなら、いつまでも聞いていたい兄の声。

 
でも今は、耳を塞いでしまいたかった。


「俺は、もうお役御免、だな」


ガラスが、割れる音がした。

手のひらから、グラスが滑り落ちて。
私の足首に、冷たい水が触れる。


広がってゆく透明な液体が、私の足の裏を浸食してゆき、これが現実だと思い知らされる。


「い……やよ。なんで……ねえ、そんなことないでしょう」


不思議と、真っ直ぐ立っていられた。
頭の中はクリアだった。

だから、微笑みの中にしっかりとした意思を持つ兄の瞳がよく見えた。


「お前の空白を埋めてやるのは、もう俺じゃないんだ」

「どんな……どんな奴かも知らないのに、そんなこと言わないで」


もう何を言っても無駄なんだろう。
兄は昔から意思の強い、しっかりとした男だった。

 
でも、今はただすがりたい。
何よりも兄が欲しい。

 
私の心から、出て行かないで欲しい。


「お前がそんな反応を見せた時点でわかるよ。ろくでもない男なら鼻にもかけない。今、お前はいい転機に立たされているんだ」

「やだ。違う。違う!!」

「朔奈。俺はお前を知っている。本当はどうしようもないぐらい脆い。だから、いつだってお前が壊れてしまわないように大切にしてきたつもりだ」