かえりみち

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は~、やっぱり素晴らしい。
このメロディー。
そしてここからの眺め。

指揮者・井上は、タクトを振りながらご満悦だった。

あ、「しきしゃ」じゃなく「マエストロ」って読んでね。
そのほうが私に似合ってるから。

それにしても・・・さすが島田幸一、そして東都フィル。
初めての音あわせでここまでの完成度とは。
これじゃあ私がここにいる意味、ないじゃないの。

ちょっとちょっと!
私が振ってないのに、勝手に盛り上がらないの。
コンマス、ちゃんと私の棒を見て弾いてよ。
島田さんもですよ。

「ちょっと、ストップ」
ふぅ。
ちょっと、楽譜を確認したいから小停止。
たまに止めないと、ほんとに私の存在意味が薄れちゃうからね。

「第二バイオリンは、もっと強めでいいよ。タラタラリララ~って、前に出てくる感じで」
・・・なんか、楽譜が見えづらいな。
そろそろ老眼なのか?
いや。きっと照明のせいだろう。

「ちょっと、君」

指揮者・井上は、ステージの袖の暗がりに突っ立っている若者に呼びかけた。

・・・周りをきょろきょろ見るんじゃない。
君しかいないだろ、君しか。

なんだあの若者は。
ホールスタッフのくせに、さっきから体全体を耳のようにして聞き入っている。
まあ、そりゃあ?
私の紡ぎだす音楽なんだから、ついついひきこまれるのは分からないでもないけど?
ホールスタッフだったら、もう少し、照明とか気温とかに気を遣ってくれたまえ。

「私の真上の照明を、少しだけ明るくしてもらいたい」

・・・だから、君しかいないでしょうが。