そこに、親父が調整を続けていたチェロが一台、残っていた。
「あ。」
「あ、あれはだな!チェロの形をしているが、チェロではないのだ!」
「もうねぇよ」と言った手前、俺はあれが売り物じゃないことを必死に説明しようとした。
「あれは、阿南敬介の唯一の失敗作!どこにも欠陥がないのに、どう調整してもいい音が出ないっていう、謎の代物さ。あんた、チェロ弾きだろう?見るだけならともかく、あれは弾けないよ」
そう言っても、あいつはそのチェロから目を離そうとしない。
「あの。ちょっと弾いてみちゃ、だめですか?」
あいつは、子どもみたいに純心な目で、俺を見つめた。
「・・・そんなに言うなら、好きにしろよ」
まぁ、どうせ音は出ないのだ。
弾けないことを納得してもらえれば、それでいいさ。
俺としては、さっさと帰ってもらう一番の近道を選んだつもりだった。



