その頃百合は、帰り際の人々で賑わうホールのエントランスで人ごみをかき分けながら進んでいた。

一人ひっそりと会場を後にした人影に、百合も気づいていたのだ。背中しか見えなかったけど、あれは絶対タクのお父さんだった。

人ごみの隙間から、肩を大きく揺らしながら歩く背中がちらりと見えた。開いた自動ドアから、今まさに出ていくところだった。

「!」

百合がかけだそうとしたその時、誰かに手を捕まれる。

桜庭だった。

「話がある」

「今ちょっと忙しいんですけど」

桜庭は、百合の言葉は無視して話し出した。

「・・・俺は、優秀な外科医だ」

突然何を言い出すか・・・と一瞬思ったが、桜庭のいつになく真剣な表情に、百合は話の腰を折りそびれた。

「あいつの胸の中からだって、ちゃんとナイフの刃を取り出せただろ?俺にしかできない芸当だ」

「・・・」

「だけど。」

桜庭はそう言うと、捕まえていた百合の左手の指輪に目を落とした。

「君の心の中からは、あいつを取り出すことはできなかった」