かえりみち


卓也がステージに現われた。
大きな拍手で迎えられる。

井上が立っている、中央に向かい歩いていく。

会場の拍手が、膜がかかったように遠くに聞こえ始める。
それと反対に心臓の鼓動が、高くなっていくのが分かる。
チェロが置いてある中央のイスが、限りなく遠く感じる。

ようやくそこまでたどり着くと、卓也は正面を向き頭を下げた。
スポットライトと観衆の注目が、一斉に卓也に集まる。
拍手が一段と大きくなる。

顔を上げた卓也の目に、何百もの人々の視線が突き刺さった。

怪訝な表情の紳士。
隣同士でささやき合う婦人たち。
冷たい視線の男女。
メモを片手に、難しい顔の男たち。
顔を見合わせて、何かを笑っている若者。

卓也の顔が、恐怖にひきつる。
額に一気に汗が吹き出し、手が震え始める。

少し離れた舞台袖の人々にも、その震えが分かった。
でも、もう何もしてあげられない。

「・・・」

もう見ていられなかったのだろう、
春樹が視線を床に落とした。