目が合うと、珠結は咄嗟に目を逸らしていた。自分に向けて諭されているかのようで、心臓が今度はむず痒いような感覚を覚える。
「安産を願って毎日お百度参りをした庄屋の娘や、家族の健康を願って酒を断った飲兵衛の男の話とか、耳にタコができるほど聞いたな。珠結は覚えてるか? 俺のばあちゃんに昔話、よく聞かせてもらってたろ」
帆高の祖母は自分達が中学校に入る直前に亡くなった。病死だったと思う。帆高の家に遊びに行った時、彼女が縁側の安楽椅子に座りながら昔話を語るのを二人で膝を抱えて聞いていたのをうっすらと覚えている。
「何となくは。でも、ほとんど忘れちゃってる」
「小学校低学年ぐらいの話だからな。俺は時々聞いてたし。…晩年はよく繰り返し、話してたな。ぼけちゃってさ、俺がまだ幼稚園児だと思い込んでたんだよ。だから昔と同じスタイルで昔話をしてたんだ」
「…嘘、そうだったんだ。あの、おばあさんが。大変…だったよね」
「普段は焦点の合わない目で天上をボーっと眺めてるだけなんだけど、たまに戻ることがあった。その時は目に光が宿って動作もキビキビして、言葉もはっきりしてるもんだから痴呆症だなんて信じられないくらい。まあ、本当に時々だったけど。で、毎回のように聞かされたのは小さい時には聞いたことのない、初めて聞く話だった」
昔この地に住んでいた若い女には、乳児の息子がいた。息子はとても身体が弱く、医師には成人するまで生きられないだろうと診断されていた。悩みに悩んだ末、その母親はご利益があると知っていたこの神社で、願掛けをすることを決断した。
自分の好物である甘味を一切我慢する。野菜中心の質素な食事を三食取る。どんなに天気が荒れたり自身が病んでいたりしても、必ず毎日神社に通って参拝する。全ては息子が健康でいられるようにと願うため。
その甲斐あって息子が5歳になる頃には、病弱さを見受けられないほどの健康体となった。それでも母親は生涯に渡って願掛けを続け、誓いを守り通したという。
「すごいよな、その母親。普通の人じゃなかなか真似できない。彼女自身が意志の強い人間だからってのもあるだろうけど、第一に大切な子供を思うがためなのかな。そのためには何でもする、してみせる。自分が辛い思いをすることになっても。ああ、憧れるな、そんな強さ」
帆高の横顔を覗き見ると、かすかに目が赤くなっているように見える。尊敬・憧憬・羨望を入り混じらせて、彼は空を仰ぎ見る。こぼれ出しそうな涙をこらえているようだ。これは考えすぎだろうけども。
「帆高も何か、願掛けしたいことがあるの?」
「ああ。というより、その最中。始めてから、そこそこ経つかな。でもその母親と比べたら俺の誓いなんて大したことはない」
「願い、叶いそう?」
「いや。願い自体が大きくて複雑だからな、簡単に叶うとは思ってない。でも、その時が来るまで貫いてみせるさ。一生かかってでも、ずっと」
帆高は何を願っているのか、何を誓っているのか。珠結にはそれらを尋ねる勇気は無かった。しかしその真摯な眼差しを見るからに、よほど大切で強固な願いであることに疑いない。
「安産を願って毎日お百度参りをした庄屋の娘や、家族の健康を願って酒を断った飲兵衛の男の話とか、耳にタコができるほど聞いたな。珠結は覚えてるか? 俺のばあちゃんに昔話、よく聞かせてもらってたろ」
帆高の祖母は自分達が中学校に入る直前に亡くなった。病死だったと思う。帆高の家に遊びに行った時、彼女が縁側の安楽椅子に座りながら昔話を語るのを二人で膝を抱えて聞いていたのをうっすらと覚えている。
「何となくは。でも、ほとんど忘れちゃってる」
「小学校低学年ぐらいの話だからな。俺は時々聞いてたし。…晩年はよく繰り返し、話してたな。ぼけちゃってさ、俺がまだ幼稚園児だと思い込んでたんだよ。だから昔と同じスタイルで昔話をしてたんだ」
「…嘘、そうだったんだ。あの、おばあさんが。大変…だったよね」
「普段は焦点の合わない目で天上をボーっと眺めてるだけなんだけど、たまに戻ることがあった。その時は目に光が宿って動作もキビキビして、言葉もはっきりしてるもんだから痴呆症だなんて信じられないくらい。まあ、本当に時々だったけど。で、毎回のように聞かされたのは小さい時には聞いたことのない、初めて聞く話だった」
昔この地に住んでいた若い女には、乳児の息子がいた。息子はとても身体が弱く、医師には成人するまで生きられないだろうと診断されていた。悩みに悩んだ末、その母親はご利益があると知っていたこの神社で、願掛けをすることを決断した。
自分の好物である甘味を一切我慢する。野菜中心の質素な食事を三食取る。どんなに天気が荒れたり自身が病んでいたりしても、必ず毎日神社に通って参拝する。全ては息子が健康でいられるようにと願うため。
その甲斐あって息子が5歳になる頃には、病弱さを見受けられないほどの健康体となった。それでも母親は生涯に渡って願掛けを続け、誓いを守り通したという。
「すごいよな、その母親。普通の人じゃなかなか真似できない。彼女自身が意志の強い人間だからってのもあるだろうけど、第一に大切な子供を思うがためなのかな。そのためには何でもする、してみせる。自分が辛い思いをすることになっても。ああ、憧れるな、そんな強さ」
帆高の横顔を覗き見ると、かすかに目が赤くなっているように見える。尊敬・憧憬・羨望を入り混じらせて、彼は空を仰ぎ見る。こぼれ出しそうな涙をこらえているようだ。これは考えすぎだろうけども。
「帆高も何か、願掛けしたいことがあるの?」
「ああ。というより、その最中。始めてから、そこそこ経つかな。でもその母親と比べたら俺の誓いなんて大したことはない」
「願い、叶いそう?」
「いや。願い自体が大きくて複雑だからな、簡単に叶うとは思ってない。でも、その時が来るまで貫いてみせるさ。一生かかってでも、ずっと」
帆高は何を願っているのか、何を誓っているのか。珠結にはそれらを尋ねる勇気は無かった。しかしその真摯な眼差しを見るからに、よほど大切で強固な願いであることに疑いない。


