優しくて気の利いて、奈美も一目惚れするような兄が家にいる。そうだ。兄は優しいのだ。そして自分を愛してくれているのだ。きっと、家族の愛を越えて。でなければ、頬とはいえ、あんな情愛に溢れたキスをしてくるはずがない。

慰めてもらおう。たくさん愚痴を聞いてもらおう。兄がいるのだから、大丈夫だ。
――そう、考えながら走り、到着した自宅の前で美幸は今さら、ひとつのことに気がついた。

自分の家は、二階建てである。中央にある玄関の右上に、美幸の部屋の窓がある。
しかし、その反対側――左上に、窓はない。空間から言えばそこにも部屋があっておかしくないのに、今まで、その部屋には行ったことがない。いや、というより、そこに、部屋が、ない。

外から見れば、確実に部屋がひとつあるはずなのに。窓もない。

「美幸」

と声をかけられて、跳ね上がった。

兄が、家の中からこちらを見ている。

「どうしたんだ。遅かったじゃないか。学校から急にいなくなったって連絡もあったし。なにかあったのか?」

「あ……」

たくさんのことがあったが、

「別に……」

言うに、言えなかった。そして、言えなかったばかりに、このあとどう甘えればいいのか、わからなくなった。兄には、自分が学校をさぼったことしか伝わっていないのである。ひょっとしたら、甘えるどころか怒られるかもしれない。