ただいまとも言わず扉を閉め、靴を脱ぎ始めたところで、妻が台所から出てきた。

「おかえりなさい。アナタ」

と、私の予想はどれも外れ、妻は微笑を向けてきた。

「今帰った」

「ええ」

ただ、頷かれる。見ればわかりますよ、と笑って。

「……聞かないのか?」

「なにをです?」

「俺がどこに行ってたのか」

「聞いてほしいんですか?」

「……」

「アナタが自分でおっしゃられないなら、私はそれでいいんです。アナタが話すのも、話さないのも、アナタの心遣いだと思ってますから」

「そうか」

「ええ」

頷いた私に、妻も再度頷く。

信頼があってのやり取りだと、思っていいのだろうか。妻は本当は、なにもかも気づいていて、このように言っているのだろうか。

彼女は俺の、なにを求めているのだろうか。

「……なあ」

「はい」

「外に出ないか」

「今からですか?」

妻が後ろを振り返る。見えるわけでもないのに、台所にかかった壁時計を――時間を、確認しようとしたのだろう。

私は妻の手を掴んだ。彼女が振り向く。クリーム色のブラウスの袖に包まれている腕は、彼女のそれとは違ったが細かった。

その手の、薬指には、シルバーのリングがあった。

見合い結婚だった私達にとって、そのリングに愛情は詰まっているのだろうか。これから、詰められるのだろうか。

たかだか十グラムもないそれに、実在以上の重みはあるのだろうか。