悟志が心行刀流の達人であった伊庭八郎を知ったのは、この道場に入ってからだった。
それまでは、幕末といったら、新撰組くらいしか知らなかった。


たまたま、居合いを習ってみたいと思い立って、たまたま、この道場が一番家から近かった。

それだけのことだったが、今は、心行刀流を学ぶことができて良かったと思う。


心と身体が整えば、おのずと剣は心を表す。


心行刀流の精錬な教えは、悟志にはとても心地が良かった。


それにしても。


心行刀流の後継者として将来も決まっていた八郎は、どうして、何もかも捨てて旧幕府に最後まで殉じたのだろう。

有名な新撰組などと違って、八郎には、戻れる場所も、守らなければならない家もあったはずだ。

その疑問は今でも、悟志の中にある。
己の志を貫いた八郎への憧れとともに。


それでも。


今の時代、武士なんて何の役にも立たない。

戦国や幕末、戦争のあった時代なら、武術の優れていることは役にも立っただろうが、今は、刀を振るう機会など、普通に生きていれば一生に一度もない。