クラスの稲葉が死んだ。


 一時間目が体育で、最後の授業が数学の、かったるい火曜日のことだった。その日は朝から太陽がカンカンで、俺は「こりゃ体育の時死ぬなぁ」なんて考えていた。それは二つ上の兄ちゃんも同じだったようで、「今日は仕事で死ぬなぁ」などと言ってうなだれていた。

 そんな、いつもの平穏な火曜日だった。

クラスメイトの誰もが、今日は一週間のうち最も辛いスケジュールの火曜日だ!と気合を入れていたし、それは俺だって例外じゃなかった。それでも、いつもの気合じゃ到底足りないくらい辛い火曜日が、今はある。

 稲葉が死んだというのは、二時間目の授業中に入った情報だった。もしもこの情報が入ったのがまだ先生が来る前の朝のうちで、情報の出所がクラスのふざけた男子とかだったら、少しは稲葉の死を疑ったのかもしれない。だけどあいにく、そのことを告げたのは真剣な顔をした教頭だった。いや、もしかしたら校長だったかもしれない。でも、今は教頭ということにしておこう。普段から校長と見分けがつかないほど真面目な教頭が、授業担当の先生に、深刻な顔で「今朝、稲葉君が亡くなったそうです」と、小さな声で言った。

 もしも、その時の授業が、この沢松という厳しい先生の授業じゃなかったら、あまりにも教室が騒がしくて、教頭の小さな声は俺たちには聞こえなかったかもしれない。だけど、沢松が地理について熱く語っていた余韻のある静かな教室では、教頭の声は悲しいほどに響いた。
 俺はその時、稲葉というクラスメイトの顔が一瞬思い出せなかった。でも、誰かが「稲葉が…」と呟くのを聞いて、ああアイツか。と、思いだす。色が白くて、痩せっぽちの稲葉。

 教室では誰一人、どうして死んだのかという疑問を口にしたりはしなかった。おそらく、疑問にすら思っていなかっただろう。俺だって、稲葉の死因は、気にならなかった。

ただ単純に、飛んだんだと思った。