「…」

完全に見えなくなった瞳。

しかし、そんなに不便に感じなかったのは、アスカのこれまでの生活のせいであろう。

王が出掛け、不在となった玉座の間。

静かな空間で、アスカの鼓動と吐息だけが、そこにある生きる証明だった。

そんなことに気付いただけで、アスカは幸せだった。

まだ何かを感じられる。

目から流れる血が、固まりかけていた。

アスカは拭うことをせずに、ただ耳をすましていた。

自分の音以外に、何かが聞こえてきたからだ。

それは、小鳥の囀り。

城の外を自由に過ごす小鳥達の声。

アスカは、その囀りに初めて、楽しさを感じた。

今まで、アスカの周りに楽しさを与える存在はいなかった。

王宮の地下でも。

嘲り、偽り…愛想笑いと謀略。

アスカは道具であり、人として扱われてはいなかった。

そして、王宮を出た後は…人を超えて、神と呼ばれた。

(ああ…)

アスカは、囀りが聞こえてくる方に手を伸ばした。


その時、後ろから声がした。

「王がやったのか?」

その声に振り返っても、アスカには誰なのか確認する目がなかった。

「治癒は不得意だが…血くらいは、拭ってやろう」

「あ…」

後ろに立つ人物が、膝を折ったことは、空気の流れでアスカにはわかった。

地下室の暗闇にいた時から、耳と皮膚の感覚は研ぎ澄まされ、敏感になっていた。

「あなたは…」

アスカは、声で人物を確定した。

先程、この部屋に来た…赤毛の女の人。

顔を上げたアスカの両目に走る一筋の傷を見て、サラはため息をついた。

(ライ様は…何を苛立っていらっしゃるのか)

サラにはわからなかった。

しかし、普段はそういうことをしない人だともわかっていた。

(王になられてから…少し御変わりになられたかもしれない)

アスカの血を右手で一度拭うと、サラは手のひらで両目を覆った。

「温かい…」

思わずアスカの口から、声がこぼれた。

(しかし…それでも)

サラはゆっくりと立ち上がると、傷口が塞がったアスカの顔を見下ろした。