キミは聞こえる

「ああ、ちょうどよかった安田先生!」

 声の主をばあちゃんは知っているようだった。そりゃそうか、とすぐさま思い直す。ばあちゃんはその学校の理事長だ。

 そんなくだらないことに気を取られているとふいに、がくん、と身体が大きく傾いた。正確に言うならば、強い力に引きずり下ろされた。

 泉だ。

 もう一方を拘束していた昌伸も同じようにつんのめり、咄嗟のところで手すりにしがみついた。

 友香は舌打ちをしたくなった。
 やってしまった。

 ……ほんのちょっとの油断が仇になるとはわかっていたのに。
 親子四本の腕から、泉は自身の細身を活かし、難なくするりと抜け出した。

「泉ッ!」

 手を伸ばす。届くまであと爪一枚分足りず。

 泉はリビングへと脇目もふらずに駆けていく―――と思いきや、ドアが開いた音に反応したかふいに足を止めた。

「いったいどうされたんですか理事長、さっきから大きな声が聞こえるんですけ――」
「泉! ばあちゃん、逃げてッ!」

 男の声を遮って、友香が金切り声のような叫びを上げた。「早く!」

 泉が駆け出す。

 何を狙っているのだろう。標的を変更したのか、とつぜんつま先の向きを変えたのだ。

 そのまま玄関目指して猛然と廊下を蹴る。
 ぎょっとして、祖母と現れた若い男が揃って目を剥いた。

(くっそ……ッ!)

 いったいどうしたっていうのよ。

 泉の目的はあのやたら色気のあるデカパイのねえちゃんじゃなかったの。

 友香は泉が向かおうとしている先、すなわち玄関に視線を転じ、そこにあるありとあらゆるものに彼女の関心が向きそうな物があるだろうかと忙しなく黒目を走らせる。

「友香!」昌伸が叫ぶように娘の名を呼んだ。

「なに、父さん!?」
「あっ、アレだ、アレを見ろ! 泉ちゃんはアレを狙っているんじゃないか!」

 手すりにしがみついたまま身を乗り出して「ほらアレだ!」と指を差す昌伸。
 近頃とんとあれだのそれだの、ほらなんだっけ、が増えた中年オヤジとの会話は理解するまでになかなかの時間がかかる。

「アレ!? アレってなに――」

 言いさして、友香ははっと駆けだした。