キミは聞こえる

 小野寺の視線がちらりと動いた。それは、佳乃の斜め下に向けられていた。
 が、すぐにまた佳乃の目へと戻される。

 目が合うだけで、こんなにもどきどきが激しくなる。

 早く帰りたいと思った。

 ……でも、帰りたくないと思うのもまた事実だった。

 小野寺と二人で過ごす時間などそうそうない。

 学校で話しかければ迷惑になると思い、隣のクラスの前を通るときは出来る限りつま先を見て歩くようにしている。

 こんな機会は滅多にない。
 意識を失いそうなくらい緊張はするのだけれど、何物にも代え難い幸福感と淡雪のような甘さに、あとほんの少しだけ、この身を委ねていたかった。

「おまえ、来たときからずっと左手後ろに隠してるけど、どうかしたのか」
「えっ」

 先ほどと同じ位置に小野寺の視線が落ちる。

 左腕に緊張が走った。
 瞬間、思わず取りこぼしそうになったミサンガを慌てて携帯の裏に隠して、「なんでもないよ」と口では平静を装いながら、携帯をさらした。

「携帯……か」
「うん」

 気のせいだろうか、小野寺の呟きが、どこか悲しげに佳乃の耳に響いた。
 
(なんて……あるわけないよね)

 今日の小野寺があんまり優しすぎて、一人舞い上がっちゃってるから頭が勝手にそう聞き違えてしまっただけだ。

「あ、明日も、練習?」
「いや、今日明日は休みで、月火練習して水曜からまた休みだ」

 やっぱりじゃないか。

 大変なのは自分ではなくて、小野寺だ。

 わずかな休みの間に日々の疲れを取り、週末のテストに向けて問題集と格闘し教科書の内容を頭にたたき込まなければならない。

 激動の日々を送る彼のことを考えたら、もう少しだけ一緒にいたいなんて口が裂けても言えなかった。

 思っただけでも、贅沢な話だ。

「身体、気を付けてね」

 私が言える精一杯の言葉。

 彼の体調を案ずることしか出来ない

 ―――その言葉の裏に隠された張り裂けそうな思慕の思いが彼の心にすこしでも響いてくれることを願いながら。

「……ああ」

 小野寺と別れて帰路を進みながら、佳乃は手を宙に上げると、結局渡すことの出来なかったミサンガを夕陽に照らした。