キミは聞こえる

「おまえの……その…」

 あと一歩。あと一歩が、続かない。

 焦れったい。もどかしい。
 けれど、今の彼を困らせるようなことは言いたくなかった。

 うずうずしはじめた感情をなんとか胸までに留めさせ、蓋をする。

 やや湿った風が頬をなぜた。
 夏のそれか、川が近いからか、それとも、雨が近いのか。道路はいまだ鮮やかな夕陽に照らされているから、ここの上空は晴れているのだろうけれど。

 桐野の眉が苦しげにひそめられる。
 まぶたを伏せて、首を振った。

「……悪い。やっぱ、なんでもねぇ……」

 しかし。そう言ってからも、桐野はすぐに手を離そうとはしなかった。

 こんなとき、なんと声をかけてあげればよいのだろう。

 ……まただ、と思う。

 いつも、大事なときにこれという言葉が浮かばない。
 そればかりか、なにも言わないまま逃げてしまえばいい、関わらなければいい、そう思ってしまう。距離を置きたがる自分が率先して進み出る。

 だけど、ずっとこのままというわけにはいかないこともわかっていた。

 桐野の母が食事を用意してくれている。ひょっとすると雨が降ってくるかも知れない。
 早く、桐野家へ向かわなければ。

 それにこれ以上、桐野を悩ませるべきではないとも思った。

 おそらく、桐野はもうなにも言わないだろう。彼の顔を見ていると、そう自然と思えてくる。
 彼はなにも言えない。そんな気がする。

 ならばいつまでも悩んでいたって仕方ないだろう。
 悩みは疲労に繋がる。大会が近いのならば、なおのこと神経を削るべきではない。

 そっと手に手を重ね、己の手を抜くように桐野の手を軽く押す。

「ごちそう、なんだろうね」

 我ながらなにを言っているのか、と思う。
 しかし、口ごもる理由を問い詰めるわけにもいくまい。

 そう思ったら、まるで関係のないことを言う以外、この場を脱する方法はなかった。すくなくとも、泉の中では。

「……さ、さぁ」
「すぐ戻るから」

 かけ足で泉は玄関へ向かった。