キミは聞こえる

 達彦が倒れたあの日。
 未遂に済ませることが出来たのは本当に幸いだった。

 日頃、運動とまったく親しくない自分は、ゆるい坂道を登るのもぜえぜえで、体育も健康体だが見学者という立ち位置にいるけれど、いざのいざというときは本能が身体を動かしてくれるものらしい。

 危うく設楽にファーストキスを奪われるところだった。

 それだけではない。

 生まれてはじめて待ち伏せをされて、気絶した。

 あんな男、世の中にそうそういないと思うけれど、身近に一人存在することは明らかであるため、設楽はもちろん他の男たちに対してもうっかり胸キュンなんてしていられない。

 身を守ることに手一杯で、色恋事にうつつを抜かしている余裕がないのだ。
 
「そうなんだ……そうだよな」

 桐野の萎んだ声が聞こえた。すこしだけ、肩が落ちたようだ。
 陽を背に背負っているため顔には自然影が落ちるものだけれど、それだけでない暗さが彼の顔半分を覆っているように思えた。

「どうしたの」
「……なんでもない」
「変だよ」
「変じゃない」
「変だよ」
「変じゃないって言ってンだろ」

 ムキになるところがどうにも怪しい。

 そして、早足にならないで欲しい。疲れるんだから。

 着いていくのがアホらしくなり、自分のペースに戻す。と、隣にいない泉に気づいた桐野が立ち止まって振り返った。

「悪ぃ。いつもの速さに戻ってた」