その便箋には、手紙と写真が
一枚入っていた。

『お父さん・お母さんへ…』タケルが両親へ宛たものだった。

男は躊躇した。これはタケルが両親へ書いた物だ。男が読んで良い筈はない。しかし男は文書の中に自分の名前を見つけた。
男は罪悪感を覚えたが、読む事を決意した。

男は少しだけ日本語は読めるものの、
やはり辞書を片手に判読した。
『お父さん・お母さんへ
長く連絡もしないで、すいません。

今、僕はカメラマンとして〇〇国での戦場に居ます。

お父さんに反対され、お母さんに心配されても、自分で選んだ道を。

親不孝だと自分でも思います。…』


最初の文章は両親への謝罪と決意だった。

中程に来ると、男と共にカメラマンとしての行動が書かれていた。

『…僕はその人とたくさんの戦場で写真を撮りました。日本では信じられない。いや、むしろ現実の世界で起こっているとは思えないくらい、残酷です。しかし此処も世界の姿であると思います。

人の命を助ける医者。

人の命を消す兵士。


同じ人間なのに。最初の頃は
そう思いましたが、〜〜〜さんと行動を共にするうちに、僕は何か違う事に気が付きました。

殺す側。殺される側。

善と悪。光と闇。

全ては二分されている様に見えます。
だけど両方の人間にも、愛すべき家族や恋人。守るべき意志や世界が有りました。

年端も行かない子供が銃を構え、人を撃ちます。弟や妹を養う為に。また親の為に。

大人の兵士が子供を撃ちます。仲間や自分を守り、世界を平和にすると願いながら。

たくさんの人の死を見ました。
たくさんの人の悲しみを見ました。


僕は分からなくなりました。何が正しく、なにが間違えで、正義と悪行の違いが。多くの人を殺して戦争で勝てば、英雄。戦争で負ければ殺戮者。

そんな想いに潰されそうだった
僕を救う出来事がありました。
ある戦場で〜〜〜さんと
写真を撮っていた時。

瀕死の兵士が僕らに言った言葉です。
それは

「自分は誰も殺したくなかった。教師を続けて、子供達と…。自分がして来た事は謝罪しきれない。だから、だから今の自分を撮って欲しい」と