そこにいつもの優しい彼の姿はない。
眉間にしわを寄せて、苛立っているのが彼の表情からひしひしと伝わる。
その迫力に一瞬怯みそうになったが、こうなることはここに来る前から分かっていた。
彼に冷たくされただけで、簡単に引き下がりたくない。
「江原先生は…」
ぴくり、とイツキの眉が動く。
楓は声を振り絞るようにして言った。
「江原先生はね、あたしの学校の保健医をやってるんだけどみんなにすごく人気があるの。優しくて、でも厳しいところもあって―――」
「あの人のことは俺には関係ない」
思わず、口を噤んだ。
イツキの目色が鋭く変わったからだ。
しばらくの、間。
彼は小さな声で訊いた。
「…楓があの人を連れてきたのか」
楓はこくり、と頷く。
あの人とは江原先生のことだろう。
まるで他人呼ばわりだ。
「どうして連れてきたんだ」
彼は本気で怒っている様子だった。
やっぱり昨日江原先生をここに連れてきたのは間違っていたのかもしれない。
何も知らなかったとはいえ、彼に江原先生を会わせたことは軽率だったんじゃないか。
「ごめんなさい…」
ふう、とため息が聞こえた。
煙草の甘い香りが鼻先をかすめる。
「もう帰れ」
イツキはポケットからケータイを取り出した。
「今タクシー呼ぶ。それで帰るんだ」
「イツキさん…」
「金なら俺が払っておく」
「イツキさん!」
ガシャン、と物音。
楓がとっさにイツキの腕を掴んだはずみで、彼の手からケータイが落ちた。

