家に帰ってから、俺たちは静けさの中にいた。
 話すことがない訳じゃない。話したいことはあった。話しておきたいこともあった。
 ただ今は、そんなことは必要な気がしなかった。
 ふと、彼女は立ち上がりキッチンに行った。
 少しすると、そっちから懐かしい匂いがした。
 俺はしばらくその匂いにうっとりしていたが、あることを思い出してバネのように立ち上がった。
 俺は風のように、一分でも早くとキッチンに走った。
 キッチンに入ると、真っ白いエプロンをした彼女は、慣れた手つきでシチューを作っていた。
 食べられないはずなのになぜ作れるのか、俺はわからなかった。
 彼女は、病気のせいで食事が出来ないはずだった。
 俺は、彼女の目が見えないことをいいことに、キッチンを散策した。
 明るい色をした木の戸棚には、ぴかぴかの白い食器が少しほこりをかぶっていた。
 しかし、キッチンは最近使われた形跡があった。
 どうしてだろう。
「ラド、そこにいるんでしょ」
彼女のうめき声のような声が、そう言った。
 俺は、ぎくりと背筋をのばした。
 彼女は、シチューを皿に盛りながらクスクスと可愛らしく笑う。
 俺はくすぐったい胸をそのままにして、忍び足でキッチンを出ようとした。
 すると、目の前にシチューの盛られた皿が現れた。
 その皿を持っている手の先にいる彼女は、ウインクした。
 俺は、持って行けと言うことを理解し、おずおずと皿を手に持った。
 よろしいとでも言うように彼女は頷いて、エプロンを脱いだ。
 それを壁に掛け、彼女はすたすたとキッチンの戸まで歩き、行こうとでも言うようにこっちを見た。
 俺は明るい彼女に頬をゆるませながら、彼女の隣まで行った。
 静かながら、温かく楽しい食事を終え、俺は部屋に入った。
 荷物をベッドの横に放り投げ、机へと向かった。
 まるで誰かが毎日ここを使っているかのように、ほこり一つなかった。
 滑りの悪い引き出しを開けた。
 そこには、やはり何もなかった。
 しばらくそこを見つめて、俺は閉めてベッドへ体をあずけた。
 俺は疲れと安心のせいか、すぐにぐっすり寝ることが出来た。。