あたしはため息を着いて携帯電話を折りたたもうとしたけど、何とはなしにアドレス帳を開いてみた。
『産土 凪』――。
思わず決定ボタンを押すと、電話番号とメールアドレスが表示された。
震える指で電話番号にカーソルを合わせて、親指の腹を決定ボタンに載せる。
ここに力を入れれば、ナギの声が聴けるんだ――
それはひどく簡単な事なのだけれど、その誘惑をあたしは全力で退けた。
いけない。何のつもりで別れを告げたの?
自分自身を厳しく叱りつけ、病院の庭にあるベンチから腰を上げた時、赤石さんが車椅子に乗り、それを高瀬さんが押してる姿を見かけた。
そういえばお散歩の時間だっけ。
「ほら、赤石さん見てください。藤の花に蝶があんなに飛んでますよ」
「いつの間にか、季節がこんなに移ろってたんだな」
「そうですよ。長い冬の後には必ず芽吹きがあります。赤石さんだってきっと好くなります。わたしがずっとそばにいますから」
「ありがとう」
高瀬さんが彼に向けた瞳は、限りなく愛おしむ目をしてた。



