あたしがその景色に見とれていると、突然エレベーター全体が下から突き上げられたように揺れて、そのまま停止した。
予想外の事態に対処しきれずに体が投げ出されたけど、あたしは柔らかいものに受け止められ、その後の衝撃にも何とか耐えられた。
気がつけば、背中に腕を回されてる感触があった。
ムスクの香りが強い、懐かしいオーデコロンと整髪料の匂い。
「杏子、怪我はなかったか?」
躊躇いがちに、低い声で呼ばれた名前。
お父さんに名前を呼ばれた記憶は、あたしの中でなかったから、なんだかくすぐったい気がする。
あたしは滲む涙を指で拭うと、目を瞬いて滴を落としてからお父さんを見上げ、今出来る精一杯の笑顔を作った。
「ありがとう、あたしは何ともないよ。お父さんこそ大丈夫?」
お父さんはあたしの目から視線を逸らしたから、ちょっと胸が痛んだけど、わがまま言っちゃいけないよね。
こうして話せる事だって、夢にも思わなかったんだもん。
お父さんは「そうか」と言ってあたしを離すと、あたしからまた距離を置いた。