調査票に書いたとき、絹枝さんの息子さんである裕一さんは、昭和21年の2月25日生まれになってた。
その他にお子さんは居ないみたい。
ちょっとアレだけど裕一さんの生まれから逆算すると、昭和20年の4月か5月には絹枝さんと忠司さんは結婚した事になる。
まあこういうコトがあたしに判るのも、ユリが出産予定日の出し方を教えてくれたからだけど。
当時は貞操……特に女性の操は大事で、婚前交渉なんかまずなかったハズだから。
絹枝さんが身ごもったなら、忠司さんときちんと結婚していたって事になるはず。
でも息子さんの裕一さんが、お父さんの事を娘さん達に一切話さなかった……ってどういう事だろう?
何か重大な行き違いでもあったのかな?
いちばん古い証言は、涼花さんのお母さん……
つまりは裕一さんの妻である里子さんの言葉。
里子さんと裕一さんが恋人付き合いをして、お互いに家族を紹介したのが昭和44年。
里子さんが22歳で、裕一さんが23歳の時だったとか。
その時既に忠司さんは居なかったらしい。



