記憶が酷く曖昧で、瞳を開けたらいつの間にかここにいて、知らない世界がそこにはあった。自分の記憶にはない、この世界が。

 雨の匂いが染み込んだレンガの路、黄昏色の建造物、林檎の木々、黄昏の薔薇ーーどれも見慣れない風景だった。


 少年の中には、何一つ確かなものが存在しない。


 動揺することもなく、置かれた状況に関心すら抱かず、空虚だった。

 何もかもどうでもよかったのかもしれない。

 あのまま、死んでしまっていても。


 しかし。死というものはどういうものだろうか。終わりだというのはわかっているけど、それは痛くて、苦しいものなのだろうか。

ーー雨が。雨の音が、そう思わせるのだろうか。


 少年は耳を傾けながら考える。堂々巡りだとわかっていてもそうせずには、いられなかった。

 きっと思い出せれば、すべて解決するはずだ。
霧が晴れていくように。


 灰色の空で覆われた薄暗い街中を街灯が照らしている。雨のせいか、皆足早に通り過ぎて行く。道中少女が、可愛らしいパステルカラーの店を指差しながら微笑む。


「あそこのお店クレープがおいしいんだよ。ユーリは甘いもの好き?」

「……甘いもの。嫌いでは、ないと思う」

「今度一緒に食べに行こうね。よく行くお店だから、いつもサービスしてくれるの」

「そうだな。楽しみにしてる」

「ユーリ笑ってる」


 どうやら自然と笑っていたらしい。少女と交わした小さな約束。初めてだから、嬉しかったのだろうか。

 なぜだろう。嬉しそうな少女を見ているとーーとても、満ち足りた気持ちになる。


 この気持ちは一体なんだろう。