だから、まゆちゃんのおかげで、私は集団の中に自分がどうやって居ればいいか、そういう身の振り方を覚えていったような気がする。
それまでの私は酷く他人に対して子供のくせに猜疑の態度で接し、ろくに口をきかない嫌な子だった。
今にして思えば、この頃に覚えた対人感覚は今の私の社会人としての渡り方の基本になっているようだ。
上手い下手は別として。
始まりの記憶は熟練の途上に大きく影響しているのだろうか。
今の不安な気持ちに、初めての友達を重ねて、思い出す感覚は安心をもたらしてくれるかも知れない。
暗にそのような気持ちで私はまゆちゃんとの思い出を懸命に掘り起こしているのかも知れない。
今の毎日は過去の毎日と連続している。
それはこんな些細な出会いから始まっている。
大人の自分を形造っているのは小さな子供の自分が元になっている。
暫く忙しい毎日に埋もれて忘れていたが、子供を産む自分自身の中に発して来る何かが、心の形成の遍歴の源流を遡らせている。
毎日と思い出は乖離してはいない。
私の中に体温を持って息づいているのだ。
まゆちゃんの温かい微笑みのように…。