その後、私達は掘り出した綺麗な石をまた家の前の土手に持ってゆき、大きな青桐の下の遺跡の廻りに、石の赤ちゃん達が生活する場所を想定して、集団社会を形成させ、石を生き物に見立てて、お人形さんごっこの如くに寸劇ミニドラマをやって、泣き笑いのある楽しい遊びを始めた。
最初に見つけた一番大きなメノウっぽい赤い石を王様にして、白いのは医者とか先生とかの頭脳職業。
青いぽいのは警察官やお役所の人、そしてその辺にある小石を一般人で、適当に決めていた。
たぶん、このキャストの決め方はテレビドラマの安易な受け売りだったろうし、そこに起こるドラマの数々も、何処かで見たままを私たちはやっていたに過ぎなかったのだろう。
それでも、楽しかった。
この遊びで私もよく笑ったし、まゆちゃんもよく笑っていた。
たぶん、私の中で一番まゆちゃんの記憶の映像で鮮烈に残っているのは、この遊びの楽しいひとときの無邪気な笑顔なのだ。
この石の赤ちゃん達を動かして、会話をさせる時のまゆちゃんのやさしい声の数々も30年近く経った今でも残っている。
鮮烈な命は例え小さくても、時が過ぎても輝きは失わないものなんだろう。
どんなに小さくても。
最初に見つけた一番大きなメノウっぽい赤い石を王様にして、白いのは医者とか先生とかの頭脳職業。
青いぽいのは警察官やお役所の人、そしてその辺にある小石を一般人で、適当に決めていた。
たぶん、このキャストの決め方はテレビドラマの安易な受け売りだったろうし、そこに起こるドラマの数々も、何処かで見たままを私たちはやっていたに過ぎなかったのだろう。
それでも、楽しかった。
この遊びで私もよく笑ったし、まゆちゃんもよく笑っていた。
たぶん、私の中で一番まゆちゃんの記憶の映像で鮮烈に残っているのは、この遊びの楽しいひとときの無邪気な笑顔なのだ。
この石の赤ちゃん達を動かして、会話をさせる時のまゆちゃんのやさしい声の数々も30年近く経った今でも残っている。
鮮烈な命は例え小さくても、時が過ぎても輝きは失わないものなんだろう。
どんなに小さくても。
