小学校に上がる頃にはマミーはお仕事を再開して、わたしはシッターさんに預けられた。
このシッターさんがいい人で、55歳くらいの人だったんだけど、
お料理を作っていると、
真凛ちゃんもやってみる?って言って、野菜を切るのを手伝わせてくれたり、
カレーの作り方を教えてくれたりした。
わたしは遊び半分で楽しみながら、お料理をお手伝いしてたんだ。
でも、シッターさんは、(三上美千代さんって言ったので、わたしはみっちゃ
んって呼んでいた)わたしが小学校6年生になる頃、病気をして入院してしまった。
お見舞いにも行った。
ある日、いつものように、病院に行くと、三上さんは居なかった。
「昨日、お亡くなりになったの」
顔見知りの看護士さんがそう教えてくれた。
「・・・・!!」
ショックだった。
おばあちゃんもおじいちゃんもいないわたしにとって、「みっちゃん」
はわたしのおばあちゃんみたいな存在だった。
みっちゃんは、癌だった。見つかったときには手遅れで、手の施しようがなかった。と
お葬式のとき、三上さんの家族にお聞きした。
このシッターさんがいい人で、55歳くらいの人だったんだけど、
お料理を作っていると、
真凛ちゃんもやってみる?って言って、野菜を切るのを手伝わせてくれたり、
カレーの作り方を教えてくれたりした。
わたしは遊び半分で楽しみながら、お料理をお手伝いしてたんだ。
でも、シッターさんは、(三上美千代さんって言ったので、わたしはみっちゃ
んって呼んでいた)わたしが小学校6年生になる頃、病気をして入院してしまった。
お見舞いにも行った。
ある日、いつものように、病院に行くと、三上さんは居なかった。
「昨日、お亡くなりになったの」
顔見知りの看護士さんがそう教えてくれた。
「・・・・!!」
ショックだった。
おばあちゃんもおじいちゃんもいないわたしにとって、「みっちゃん」
はわたしのおばあちゃんみたいな存在だった。
みっちゃんは、癌だった。見つかったときには手遅れで、手の施しようがなかった。と
お葬式のとき、三上さんの家族にお聞きした。

