……その日。

アルバイトを終えた俺が家に着いたとき、時計の針は2本とも真上を向いていた。

突然の残業で帰りが遅くなるのは、いつものことだから仕方ない。
けれどこのときの俺は、納得いかない気持ちだった。

なぜなら、兄貴が北海道から戻ってくる、その日だったからだ。

ダイニングは電気がついていたけれど、もうそこには誰の姿もなかった。
テーブルのすみで、ビールの空き缶がきれいに並んでいる。けっこう飲んだ様子だから、みんな今ごろ爆睡だろう。

「ちぇっ」

小さく舌打ちして、そして少し、気恥ずかしくなった。

なんか俺、拗ねてるみたいじゃん。
いや、実際、ちょっとだけ拗ねてるけど。

こんな風に人前でも素直になれれば、「冷めてる」とか「よく分からないヤツ」とか、言われないんだろうな。

……なんて柄にもないこと考えるのは、やっぱり俺なりにガッカリしてる証拠だろう。

俺はさっとシャワーを浴びて、二階に上がった。

俺の部屋のドアと並んで、兄貴の部屋のドアもある。

その隙間から光は洩れていなかった。
物音も、聞こえなかった。

……まあ別に今日じゃなくても、兄貴の顔なんか明日からいくらでも見ることができるんだけどね。

と納得して、自分の部屋に入る俺。

そしていつものようにベッドに寝転がり、雑誌を開いたところで――
隣の部屋から不思議な声が聞こえてくるのに気づいた。

「……って…きたの」

ん?

「…あい……いかなきゃ」

え?
女、だよな?この声。

「ね……たけ…」

間違いない。
女の声!

……おいおい。
おいおいおい!
やるじゃん兄貴!

俺は寝返りをうち、壁にぴたりと耳を押し付けた。

いや、別に盗み聞きしてるわけじゃないぞ。壁際にベッドがあるのが悪いんだ。