「いや、離して!誰かっ!火事よ~!消防車を呼んで!」
本当に助けてほしいときは火事だと叫ぶとよい。
何かで読んだ本の知識が、唐突に頭の中をよぎった。
けれど雨の音にかき消されてか、誰も寄っては来ない。
車道を走る車のライトに向かって大声で叫んだが、結果は同じだった。
タイヤにはじかれた泥水が、むなしい返事をおいていく。
「ちっ、おとなしくしろよ!」
突然左頬に強烈な熱を感じて、私はふらりと男の胸にもたれ掛かった。
まるでマンガの一コマのように、目からちかちかと光が飛ぶ感覚を覚える。
殴られたのだと気づくのに、しばらくかかった。
それは初めての経験で、口の中にじんわりと鉄の味が広がった。
・・亮雅。
父でも母でもなく、心に思い浮かんだ男の名。
このまま、二度と会えなくなるのだろうか。
私が虚無感に包まれたとき、突然激しいクラクションが鳴り渡り、
私たちの体にぶつかりそうな勢いで一台の車が停車した。

