あの日の早朝、数人の遺体を発見した絹江は彼らに石にくくりつけて湖に投げ捨てたのだ…川村夫婦、そして長内タエという先客がいる事も知らずに…。

まさか川村沙耶と長内静香が生きていたとは。記憶を失っている沙耶はともかく、静香の方はいったいどういうつもりで行動しているのか、もしや事件の事をすっかり忘れてしまったのか…それとも何か別の思惑があるのか今の絹江は知る由もない。

いまはとにかく、何の罪もない哀れな娘達二人が、これからの人生を幸せに生きていける事を絹江は切に祈った。

しかしタエは村人数名を射殺したが、川村一家を襲撃した所は誰も見ていない。

タエが死んだ夫の猟銃を大事に手入れしていた事は村人誰もが知っていたから、凶器自体の所有者ははっきりしている。

でもはたして川村一家を襲撃し夫婦を殺害したのはタエなのか?今となってはすべて闇の中である。

シートに深く腰をおろした絹江は窓のカーテンを閉めて、直射日光を遮った。振り子式電車独特の揺れにだんだんと眠くなる。

数年前から心臓を患っている絹江は強い副作用のあるクスリを常時携帯していた。

もっと早くに店をたたんでしまえばよかったのだろうが、その決断を遅らせてしまった事が彼女の体を相当蝕んでいた。

ここ数ヶ月は特に調子が悪く寝る前に大きな発作が起こったときとかは、このまま眠ったら二度と目が覚めないのではと不安になったりもする。

あの後、結局遺体が一つも見つからなかった事から、事件自体は捜査されたが、集団行方不明として事件は幕を閉じた。

川村家に残された血痕と散弾銃の玉は重大事件を連想させるに充分な資料であったが遺体が無い以上どうする事も出来ない。

そうして村は平常どおりに戻り誰もその事に触れる人間はいなくなった。

絹江の希望どおり事件は別世界の出来事になったのである。