土地と建物の売買契約を済ませた絹江は大阪行きのJR列車スーパー黒潮に乗り込み、窓際の席に座った。

乗り物酔いしやすい体質なので海側の席を確保する。

山間部の曲がりくねった線路を高速で脱線しないように走るため、この列車は振り子式という特殊な構造になっていた。おかげで南紀から大阪に行く時間は大幅に短縮されたが、絹江は国鉄時代の窓が開く急行列車が好きだった。

十津川村で15年間経営した喫茶店を閉店し権利書を人手に渡したのはつい先日のことである。

もともと親が残した土地を売って始めた道楽商売だったので収支の方はさっぱり。

もっぱら、たまに訪れるマイカー客に昔話を聞いてもらっては退屈を紛らわせていた。

これからは大阪に住んでいる甥が経営するマンションにお世話になりながら、パチンコでもして余生を送るつもりだ。

しかし15年前のあの事件の真相を話した相手が当事者だったとは…しかも記憶をなくしているらしい川村沙耶の連れの女は長内タエの娘であった。

いくら何年の歳月が流れようと強烈なインパクトを伴って絹江の脳裏に刻み込まれた事件の当事者の顔は忘れない。

もともと相手の顔を見ないで話す癖があった絹江なので、あの日も例に漏れず視線を逸らしながら話をした。

それが話の流れを奇妙に感じ二人の顔をまじまじと凝視した瞬間の驚き・・・あの全身に返り血を浴びて、気が触れたように高笑いをしながら猟銃を乱射した長内タエ…その後ろを泣きながらついて歩いていた娘が、あれほど大きくなり大人の女性に変身していた事に絹江は年月の流れを感じた。

結局朝になってみると川村一家と長内母子の姿は何処にも見えず代わりに数人の村人の射殺死体が湖のほとりにあった。

あの時どうして、あのような行動に出たのか…絹江にはどうしても自分の行動を説明できない。

ただあまりのショックにこの事件を空想の出来事…そう、実際にはなかった出来事にしたかったのだ。