「はぁ…。」
と、深い、マリアナ海溝よりも深い溜息をついた。
わたくしは会社から言われるがままに区役所に来ていた。
仕事を抜けられるのは有り難いのだが…健康診断…。
果たして自分の健康に何の不安も持たない人がこの世に一体何人居るだろうか?
わたくしは酒は呑まないし煙草も吸わない。
しかしそれでも全くもって自分の細胞に自信なんて持てない。
今年、遂に三十の声を聞く肉体である。
体のどこかに不都合を抱えていても何の不思議ではない。
これだけ己の不摂生を自覚していると云うのに、医学によって異常な箇所を白日の下に晒そうというのだから、健康診断というのは非常にマゾな行為に思えてくる。
「はぁ…。」
もう一度深く溜息をつく。
正直に言おう。
実はもう一つ、気乗りしない理由がある。
確かに、何か病気が発見されてしまうのも怖いが…、何より採血が怖いのである。
以前、睡眠中に蕁麻疹を発症して病院に運ばれたことがあった。
そのとき、検査の為に採血をされたのである。
普通の注射器よりも少し大きいと思われるタイプのもので血を吸われた。
「通常の赤」よりも濃い赤が注射器に貯まっていくのをぼうっと眺める。
すると、丁度シャンプーハットを装着する頭の周回の部分から体温が急激に失われていくのを感じた。
そして次の瞬間、座って採血していた筈の体がベッドに横たわっていた。
頭上では看護師さんが大きな声でわたくしの名前を連呼していた。
それ以来採血はしていない。
町で献血カーを見ると、協力したい気持ちはあるのだが、失神でもしたらそれこそ迷惑…と、申し訳なく素通りしている。
そしてその採血を含む血液検査が今回の健康診断には含まれているのである。
面倒くさいことにならなければ良いのだが。
ジリジリ焼けるコンクリートの上で一頻り溜息を吐いた後、諦める様に区役所のドアを開けた。
「はぁ…」窓口はどこだろう?