放浪カモメ

はだけた胸元、後ろ手に結わえただけの女心を感じさせない黒髪。

そして飄々としたその態度。

トレードマークのタバコをくわえていなくても、見慣れた白衣を着ていなくても分かる。

「また居なくなったって聞いてたけど、今回は早い帰還だな。」

佐野の登場にしばらく鴨居は現状を認識できずに立ちすくんだ。

「おい、聞いてるか?」

「えっ!?あ、はい。先生これは……?」

何もなくなった部屋を見渡して鴨居は言う。

佐野は窓際まで歩いていくと鴨居へと振り返る。

「あたしな、ここを辞めることになった。」

「……え?」

今から伝えようとしていた言葉。

それがそっくりそのままで、信じられない人物の口から告げられる。

「昔付き合っていた人のお母様が倒れられてな、亭主はずっと昔に亡くなられているし。一人息子も事故で死んだ。看病してやれる人が周りに居ないんだ。だから。」

今までで一番優しい佐野の口調と表情。

それに今までで一番悲しそうな……

「お前さんも辞めるんだってな、話を聞いて正直驚いたが、少しだけ嬉しかったよ。やっと巣立つんだなこのバカ雛はってな。」

意地悪く笑った佐野。

急いでいたらしく鞄を拾い上げるとすぐに扉へと歩いていく。

「先生は……」

鴨居の言葉に立ち止まる。

きっとこれが最後の会話になると鴨居には分かっていた。

だからどうしても聞いておきたいことがあった。

「先生は杉宮先輩のこと、すきだったんじゃないんですか?」

佐野は再び歩きだす。

扉を開き、もう鴨居には届かない場所へと行こうとしている。

部屋から出て扉を閉める時。

影に隠れて表情は見えなかったが佐野がこう言った。

「そうだなぁ……好きだったよ。世界で二番目に、な。」

『パタン』と音を立てて扉が閉まる。

その音がいつまでも鴨居の中で響いて、離れなかった。