そっと立ち上がって、階段口にまで歩み寄った。
夕枝の言葉が落とされた場所に、静かにかがみこむ。
月明かりと星々の煌きが、静謐で幻想的な空間を、時計塔に作り出していた。
闇に慣れた目に、僅かな染みが浮かび上がるのがわかる。
そこに、そっと手をついて、冷たい石の塊を撫ぜた。
指先に感じる冷っとした感触が、ひどく愛しい。
夕枝の残した、かつて、夕枝の一部であったモノ。
たとえそれが涙であったとしても。
「……嫌な、予感が当たりそうなんだ」
不思議に感じることなく、直感がそれを告げる。
ボソッと呟いた言葉たちが、光を纏って、天に召されていくように感じた。
俺が想うのは、夕枝だ。
俺が願うのは、夕枝の幸せだ。
未来を夢見るなんて、鬼である俺に許されるかどうか……。
そんなこと、正直わからない。
だが、もし……。
もしも許されるのなら、俺は夢を見たい。
絶望と虚脱に囲まれた、鬼としての俺とじゃなく……、苦しんでも、迷っても、笑って生きていく、人間としての俺と夕枝との未来を。
夢見たい。
大それたことなのかもしれない。
だが俺は……、夢を見たいんだ。
遠くない未来、現実としてこの夢が夢でなくなればいいと、心で祈る。
だが、今願うのは、夕枝の身の安全だ。
頼むから……。
「無事でいてくれよ、夕枝」
街の灯りを呑み込む夜空の闇へ、そっと、そう呟いた。