pp―the piano players―


 あの日、この世の終わりかと思った。
 陸の上なのに、建物の中なのに、波の高いときの小型船に乗っているような揺れ。天井からの吊り看板や照明が、意思を持っているかのように跳ねた。
 男も女もなく、悲鳴が上がった。僕も、自分の喉から情けない声が出た気がする。
 大学の卒業式は中断され、式場のホールで待機するも余震がある。そのたびに僕はネクタイの先を握りしめていた。
 今後の動きのアナウンスが天井を滑っていく。友人と何か話したが、焦りと、動揺で、よく覚えていない。
 携帯電話が鳴った。公衆電話だ。ホールの中では色々な人が電話をしたりメールをしたりしているので、何の遠慮はない。
「ああ、尚ちゃん、良かった、繋がった」
「お母さん。お母さん、大丈夫?」
「尚ちゃん、大学にいるんだよね。卒業式は終わったの? 怪我はない?」
 役所勤めの母は、災害対応になるため帰宅が難しい。今、職場にある公衆電話から掛けてきている。父は勤め先にいたが、電車が止まっていて、いつ帰れるのか分からない。妹は家にいて、家は無事だそうだ。電話も混んで、回線も繋がりにくいだろうに、母は、祖父母の安否も把握していた。
「尚ちゃん、家に帰れそう? りっちゃんが一人じゃ心配で」
 電車が止まっている。革靴で歩いて帰ることはあまり想像していなかった。昨日までなら、部室にシューズを置いてあったのだけど。
「もし帰れないなら、りっちゃんはおじいちゃんのところに行かせるよ。尚ちゃんは、誰かを頼れる?」
 早紀の顔が浮かんだ。
 本当は、僕が頼られたいのに。彼女から贈られたネクタイをまた握る。
「うん。決まったら伝えるよ。メールも、そうだね、ショートメールも。気を付けて、お母さんも、うん」
 電話を切る。
 正直なところ、母と話して、とても安堵した。地震から止まってしまった思考が、ようやく動き出したように思った。
「ナオ、お前、お母さんから『尚ちゃん』って呼ばれているのか」
 電話を聞いていた友人が、クスクスと笑う。たしかに、すごく久しぶりにそう呼ばれたな、と思いながら母と話してはいた。それだけ、母も動転していたし、僕のことを案じてくれていたのだろう。
「こんな時に笑顔になるネタを提供できて良かったよ」
「確かに。ありがと」
 友人は僕の肩をポンと叩いた。友人の地元を、津波が襲った。