ここで、少しローマの歴史に触れておきましょう。当時のローマには二十二人の皇帝が居て、権力争いによる内乱が絶えませんでした。内乱で殺されなかった皇帝は、たった三人です。その中で、最も権力を握っていたディオクレティアヌス帝は、この内乱を治めるために、四分割統治政策を打ち出し、内乱を治めました。そして、ディオクレティアヌス帝が引退後に、二人の実力者が浮かび上がってきたのです。それは、ローマに本拠を置く、マクセンティウスと、北方に大軍を擁して、ローマを窺っている、コンスタンティヌスです。
この両雄は、テーヴェレ川を挟んで、激しい戦いをしたのです。マクセンティウスは、ローマの神、シビラの勝利の託宣を得て、自信満々でした。一方において、コンスタンティヌスは、天に十字架が現れるのを見て、全軍兵士の盾に十字架を描かせました。そして、コンスタンティヌスが勝利を治めたのです。
この勝利は、十字架のおかげであると、確信したのです。コンスタンティヌスは、これまで弾圧されていた、キリスト教を公認するようになりました。これが、ミラノ勅令です。これにより、キリスト教は、迫害から一気に開放されることになるのです。
この両雄は、テーヴェレ川を挟んで、激しい戦いをしたのです。マクセンティウスは、ローマの神、シビラの勝利の託宣を得て、自信満々でした。一方において、コンスタンティヌスは、天に十字架が現れるのを見て、全軍兵士の盾に十字架を描かせました。そして、コンスタンティヌスが勝利を治めたのです。
この勝利は、十字架のおかげであると、確信したのです。コンスタンティヌスは、これまで弾圧されていた、キリスト教を公認するようになりました。これが、ミラノ勅令です。これにより、キリスト教は、迫害から一気に開放されることになるのです。



