パリ・ローマ幻想紀行

「絵の中の若々しくたくましいイエスと、祭壇の上にチョコンと置かれている十字架上の痩せ細ったイエスとは、あまりにも対照的です。イエスも人間である以上、地獄に落とされて、処刑の精神的な苦痛から痩せ細ったのでしょうか?それとも、無頓着に間違えてこのイエスの像を祭壇の上に置いたのでしょうか?いづれにしても、奇妙なバランスです。いや、この像の配置替えをしないほうがよいと思います。最後の審判の絵よりも、もっと具体的な意味において、あなたもイエスも見えてきます」
 私はまたはっとわれに返った。この最後の審判の部屋は、各国の観光客で、身動きできないほどに、ごったがえしていた。壁際に並べられている長椅子にも、隙間なく座っている。
 私がビデオカメラを片手に立っていたら、どこの国の人か判らないが、十代の可愛い少女が長椅子からスーと立って、右手で私をその椅子に誘導してくれた。私は日本語で「有難う」と言って座った。可愛い少女と白髪頭の私との間に心が通じ合った。少女はいい行いをしたという意識はなく、従って、私は悪いことをしたという意識を持たない。そこには善も悪も感じられない。これが、イエスの見ている景色かも知れない。
 やがて、その少女は自分たちの列の流れに乗って、私の視界から人込みの中に消えた。消えた瞬間にその少女の存在もなくなり、椅子に座ったことだけが残る。ここには、善も悪もないからである。添乗員さんが人数を確認して、我々もぞろぞろと迷路へ向かった。気まぐれに歩き回る伊沙子さんの前に回ったり後ろに回ったりしながら、ビデオカメラのスイッチを押した。そして、サンピエトロ大聖堂へ入った。