口の中に紅茶の華やかな香りが広がる。
「美味しい…」
思わずそう言うと、少年が身を乗り出した。
「だっろう!」
はははと声をあげて朗らかに笑う。そして、しみじみとした顔で誰かに飲んでもらうってのはいいもんだなぁ、と呟いた。
「あ、俺はルー。名前はないから、吸血鬼にはそう呼ばれてる」
名前はない…、どういう意味なんだろう。
私の疑問に気付いたのか、ルーはちょっと笑って、たいした理由じゃないし、説明するのが面倒くださいと言って肩をすくめた。
「私はア…」
「待った」
ルーが手で私を制する。
「誰かに名を聞かれても簡単に名乗らない方がいい。ここは魔の領域だから」
真面目な顔で私を見上げた。
「魔物には、契約に名前を使う奴がいるから気をつけること。名前を知られると勝手に契約を結ばれたりするからな。ちゃんと自分で自分の名前を守るように」
先生が子供へ注意するみたいに話を続けていく。
私はその話を頷きながら聞いた。
ここには、私の知らない理があるのだ。
「俺はこれからあんたのこと、名前じゃなくて花嫁って呼ぶから」
「花嫁…?」
予想外の言葉に、私は眉をひそめる。
「結婚するの、私とあの吸血鬼は」
「いや、花嫁ってのはそういう意味じゃない」
言いにくそうにルーが私を一瞥した。
「……生贄って呼ぶのはあんまりだから、俺たちは花嫁って呼んでるんだ」
生贄……。
その言葉の血生臭ささに、私は固まった。