小早川孝が東京を訪れたのは、二年ぶりのことである。その前は四年前。その頃は東京に住んでいた。
今年16歳になる彼にとって四年前といえば12歳。本来なら小学六年生として学校に通っているという年頃である。
しかし、彼は当時、小学校には通っておらず、そもそもどこにいたかといえば、アメリカで、しかも、大学生だった。
その説明をするにはまず、彼の祖父について語らなければなるまい。
小早川孝の祖父、小早川禄郎は、小早川建設の創始者であり、一代にして虚万の富を築いた男である。
彼の強みは、仁徳だった。財界の人間にしてはとても良くできた人物で欲深なところも一切なかった。
彼はただ、仕事が好きで、そういう彼の真っ直ぐなところに多くの人々が惹かれた。

リーダーシップの権化と称された彼はすでに鬼籍に入ってしまった。

それが今より二年前のことである。

葬儀は宮城県仙台市で行われた。
そこが小早川禄郎の故郷であったからだ。

死んだ祖父に孝はなついていた。
だから、孝は祖父の勧めでアメリカの某大学を受け、そして入学した。

孝の父は祖父、禄郎の元から離れ、自立し、商社で働いていたが、孝が六歳になった頃、大学で教鞭を振るうようになってた。今も仙台の大学で教授を勤めている。
確に父の英朔は頭脳明晰な男でる。しかし、何も孝に英才教育を強いたわけではない。母、泪も熱心な教育ママということもない。
しかし、孝は小早川の才覚を受け継いでいたのか、誰かに強いられるまでもなく、10歳になるあたりには、周囲に勉学の才を見せつけていた。
だから、祖父の禄郎はアメリカ留学を勧めたのだ。
同じ頃、父、英朔も同州行きが決まっていたので話はとんとん拍子に進んだ。

それから時は過ぎ、なかなかの成績を修めて孝は卒業、帰国した。
東京へ帰ってすぐ、孝は祖父の死に触れた。

孝は悲しかった。
寂しかった。

唯一の理解者との離別だった。