この香り。


この香りがスキ。


車の中も、翼の部屋も、そしてあたしの服も。


あたしの安心するたったひとつの香り。


「俺さ……、いま幸せなんだ。すごく幸せで、すごく怖い」


翼が悲しそうに言った。


「大丈夫だよ?幸せ続くよ」

「続く?」

「絶対続く!」


この世の中に「絶対」という言葉なんてない。


そう思って生きてきた。


絶対なんて言葉、簡単に使っちゃいけないって。


それをわかっていながら、あたしは翼に言ったんだ。


翼となら「絶対」が存在するもんだと思ってたから。


「俺、本当にどうしようもない奴だった……」

「うん……」


いままで翼の過去を聞けずにいた。


心のどこかで聞くのが怖かった。


「俺のせいで家族がバラバラになって」

「うん」

「いつも居場所がなかった」

「悪さを繰り返して、何度も檻の中に入れられて、クスリに走ったときの俺は、もう腐ってた」

いつもより低い声、あたしに見せたことのない眼差し、翼は海を見つめて話していた。


「アイツが死んだときも、なんで俺じゃなかったんだ、って思った。それから族をやめようと逃げたのに、またクスリに手を出した……」


淡々と話す翼の顔を見る勇気がなかった。


「でも族の先輩に監禁されて、毎日、顔がわからなくなるくらい殴られ続けてな。もうここで殺されるんだって思ってたよ。そのとき、一度踏み外した道は、どうあがいても抜けられないって思ったよ……。流奈と同じだよ」

「翼……」


心が痛かった。「翼にはわかんないよ!」自分の言葉が頭に浮かぶ。


あたしは翼を傷つけたんだ。


「俺、そのあと捨てられた。気を失ったまま、気付いたら道もない山の中にね」

「えっ……!?」


もう翼を見ることは完全にできなかった。


そして、翼がそれ以上話すことも、あたしが聞くこともなかった。