物好きにも、雨の中、泳ごうという人だろうか。何となくそう考えていると、その足音は、わたしの背後で止まった。わたしと彼が、同時に振り返る。と、そこには、あの彼が居た。ホテルの朝食の時に話しかけてきた、ウエイターの彼だ。その手には、自分が差しているのとは別に、もう一本、傘が握られている。その傘と、その彼の顔を、交互に見比べていると、彼は、照れたように微笑んで、
「これ、使って、ください」
 と、その傘を、わたしに差し出した。少し、息が切れている。
「これ……?」
「はい。きっと、たくさん雨で、困ってると思ったので」
 わたしは、戸惑いながらも、それを受け取った。グリーンと白、そのホテルのシンボルカラーの傘。きっと、ホテルの傘だろう。
「ーーホテルの従業員なのか?」
 背中越しに、彼が、ウエイターの彼に向かって訊く。
「はい」
「……わざわざ、これを渡しに、ここまで?」
「……」
 押し黙って、俯いた。その耳が、ほんのり紅く染まっている。わたしは、何だか気の毒になって、ありがとう、助かりました、と咄嗟にお礼を言った。すると彼は、そのまま、きびすを返して、足早に立ち去ってしまった。
「あいつ……」
 すぐに、彼の言わんとするところが分かって、わたしは、頷いた。
「ええ、昨夜のビーチの男、みたいね」
「……何故それを?」
「やっぱり、そうだったのね。今朝、聞いたの。彼から。昨夜、ビーチに居た、って。だから、もしかして、と思ったの」
 ふぅん、と言いながら、彼は、また水を飲んだ。
 辺りは、雨の音しかしていない。しぃんと静まり返っている。
 急に、わたしたちも黙り込んでしまった。
 沈黙って、伝染するのだろうか。
 わたしは、傘を手にして、じっと見詰めた。