ジルに言われた通り、わたしは、一応、ドレスアップした。
 といっても、持って来ていたドレスは1着。ドレスコードのある店もあると聞いていたので、念のため持って来ておいた1枚だ。友人の結婚式に着ていった、スレンダーなシルエットの、紅いロング。肩も出るし、胸元も開き過ぎのような気もするけれど、仕方ない。視線をずらすために、フェイクの真珠でできたチョーカーを首に巻く。髪も、無理矢理アップに纏めて、お化粧直しをして、マスカラも余分に塗った。口紅だけは、紅くする勇気がなくて、グロスだけを重ねる。オードトワレを足首に吹き付けて、手で扇いだ。何だか、緊張する。鏡の中の自分の表情が、少し硬い。
 あと、靴……。わたしは、クローゼットの中に並べた靴をざっと見てみた。ビーチサンダル、つっかけのようなサンダル、キャンパスシューズ、あとは、思い切りヒールの高い、足首でリボンを結ぶタイプの、極めて安定感のないサンダル、しかない。そのサンダルは、こっちへ来てすぐに、ドレス用に、と、タウンのデパートで買い求めたものだった。今となっては、どうしてそんなに安定感に欠けるサンダルなんて買ってしまったのだろう、と思う。でも、今のこのドレスに合うのは、これしかない。これでは、歩く時はずっとジルの腕につかまっていなくてはならないかもしれない。
 ふと、さっきの、ジルの胸の温もりを、今の今になって、はっきりと思い出してしまった。もし、電話が鳴らなくて、あのまま居たら、どうなっていたのだろう。もしかしたら、もしかするのかも……と考えかけて、慌てて打ち消した。だって、抱きしめられるのだって、ジルの胸の感触でさえ、初めてだったのだ。キスもしたことがない。というより、この分だと、キスへの道のりは遠く険しいだろう。以前に、ビーチで夢想した、ジルに抱かれることだなんて、ありえそうにない。
 ましてや、わたしはもうすぐーー明日か明後日にでもーー日本へと帰る身なのだ。残された時間は短過ぎる。今更どうにかなったって、辛さが増すだけだ。
 そう。だから、このまま、このまま。それが、自分の心を守る手段だろう。
 わたしは、勢い良く、息を吐き出した。まるで、自分の気持ちを振り切るかのように。