彼がわたしを捕まえようとするから、
わたしは、逃げる。
彼がわたしを解放するから、
わたしは、差し出す。

これ以上、もう行けないというぐらい、
大いなる地の果てで、
わたしは彼に捕まってしまった。

そして、捕まったと思ったら、
解放されて。

解放されたというのに、わたしは、
もう一度捕まえて欲しい、と腕を伸ばす。
 
そうしながら、体中の力を抜いた瞬間、
また彼の手は、わたしを捕まえようとする。

そして、わたしは、また、
果てまで追いつめられることになる。

それが分かっていながら、
自分から捕まって、
そしてわたしは、再び逃げる。

真夜中。

バンコクにある、タイ国際空港の搭乗者用レストラン。

「その記憶」は、ひとりぼっちのわたしを、悦びのような、恥じらいのような、悲しみのような、不安のような、そんな複雑な気持ちで、いっぱいにしていた。

折しも、外は、ざーざー降りの雷雨。

そのせいで、今、乗り換えの飛行機も運行が遅れている。

このひどい雨で、プーケットを出発するのも、飛行機の中で1時間ほど待たされたのだった。

プーケットからバンコクへ飛んできた1時間強、わたしは、飛行機の窓から、眼下に、稲妻を、何本も何本も見た。

けれど、不思議と、怖いとは微塵も思わなかった。
こんなときに、飛ぶんだな、と、機械的に思っていた。

それらを見ながらも、時折視界が開けて、そのさらに下に広がる、タイの大地を縁取る、無数の灯りを見ることができたから。
怖さとか、そういうものよりも、その、宝石のような光の美しさに、心奪われていた。

それはまるで、黒いベルベットに注意深く置いた、豪華な金の首飾りのようだった。