謝罪編を終えた翌日、私は次の課題を告げました。
「明日から一週間、殿下には宮殿の馬房で、馬丁の見習いとして働いていただきます」
「……ま、馬房?」
「労働の項目はずっと0点です。まず、体を動かすところから」
馬房を預かるのは、馬丁頭のヨハン。六十年近く馬と暮らしてきた老人です。
初日、ヨハンは殿下を上から下まで眺め、こう言いました。
「事情は聞いてらっしゃる。だが、ここじゃ王子も馬丁も、運ぶ糞の重さは同じだ。文句があるなら帰りな」
「……文句は、ない」
「よし。じゃあ、ルー、と呼ばせてもらう。若い衆と同じ扱いだ」
かくして、元第一王子の馬丁生活が始まりました。
最初は悲惨でした。寝藁の替え方も知らず、水桶は重くて半分こぼし、馬には鼻面で笑われる。
殿下に割り当てられたのは、ロッテという老馬でした。脚が悪く、もう人を乗せることはない馬です。
「引退した婆さん馬だ。お前さんと似た者同士だろう」
「……引退と、廃嫡は違う」
「似たようなもんだ。――大事にしてやれ」
殿下はロッテの房を掃除しながら、よく話しかけていました。
「お互い、拾われた身だな。……あんたも、査定とかされるのか」
ロッテは、大きな目で殿下を見て、ぷるる、と鼻を鳴らしました。分け隔てなく接する彼の性分は、馬にも通じるらしい。
ところが三日目には、様子が変わってきました。
殿下は、馬房で働く全員の名前を、もう覚えていたのです。若い馬丁の弟が熱を出したこと、年配の馬丁は腰が悪いこと、誰がどの馬を担当しているかまで。
「ルーさん、あんた、本当に元王子か?」
「……今は、見習いだ」
「へへ、ルーさんはいい人だなあ」
使用人たちが、殿下を「ルーさん」と呼び始めました。敬称でも、殿下でもなく。
その呼び名で呼ばれるたび、殿下は照れたように、けれど嬉しそうに笑ったのです。
昼食も、馬丁たちと一緒でした。粗末なパンとスープ。殿下は文句一つ言わず、「うまい」と言って平らげました。
その席で、若い馬丁の月給を聞いた殿下は、目を丸くしました。
「……それだけ? 一ヶ月で、俺の靴一足分にもならないじゃないか」
「ルーさんは、景気のいい靴を履いてたんだなあ」
笑いが起きて、その場は和みました。けれど殿下は、その後しばらく、自分の靴を複雑な顔で眺めていました。金銭の項目は据え置きですが、頭の片隅に小さな杭が打たれたようです。
二日目には、こんなこともありました。若い騎士の馬が雷に驚いて暴れた時、真っ先に飛び込んで手綱を掴み、声をかけ続けて落ち着かせたのが殿下でした。馬の名前も、騎士の名前も、彼は覚えていた。
危機対応の項目に、小さな花丸を付けたのは、その時です。
問題は、四日目に起きました。
殿下が、馬房で倒れたのです。
聞けば、彼は三日目から、他の馬丁の分まで黙って働いていたのだそうです。腰の悪い馬丁の重労働を肩代わりし、休憩も取らず、疲れた顔一つ見せずに。
倒れた殿下を最初に見つけたのは、ヨハンでした。
報告を受けた時、ヨハンは医務室の前で腕を組み、腹立たしそうに言いました。
「若い衆が騒ぎましてね。『ルーさんが倒れた』って。――ったく、倒れるやつは、馬にも心配をかけるんですよ」
心配している、ということなのでしょう。ロッテはその日、餌の食いが悪かったそうです。
運ばれた医務室で目を覚ました殿下に、私は静かに言いました。
「頑張ることと、無理をすることは、違います」
「……迷惑を、かけたな」
「ええ。倒れた人の分まで、周りが働くことになりました。――殿下、倒れるのは、責任の放棄です」
「…………」
しばらく黙って、殿下は苦笑しました。
「昔から、そうなんだ。認められたくて、無理をする。無理をして、結局、迷惑をかける」
「気づいているなら、直せます」
私は評価表を開きました。第一部の総決算の時です。
マルガレーテに読み上げさせました。
「第一部・期末査定を発表する。礼儀、55点。使用人への礼は本物になった。だが公の場の振る舞いは未検証のため、この数字だ。謝罪、10点。傾聴、マイナス20点。人の話の途中で結論を出す癖は、まだ残る。労働、25点。働きぶりは誠実、ただし倒れた分は減点。金銭感覚、マイナス40点、未着手のため据え置き。責任、マイナス30点。父君と元婚約者への決着により、大幅改善。危機対応、0点。暴れ馬を鎮めた一件により、マイナスを卒業」
読み終えて、マルガレーテが言いました。
「合計は……0点だ」
「ゼロ……」
「ゼロです、殿下」
私は微笑みました。
「マイナス二百三十点から、ゼロになりました。出発点に、やっと立てましたね」
「長かった……。本当に、やっとゼロか」
「ええ。――ここからが、本当の更生です」
マルガレーテが付け加えました。
「お祝いに、今夜のデザートは少し豪華にしておく。……殿下の分も、ちゃんとある」
「……ありがとう」
ゼロ点のお祝いとは、妙な話です。けれど、殿下の笑顔は本物でした。
倒れてなお、どこか晴れやかな顔の殿下に、私は第二部の最初の課題を告げました。
「回復したら、次は厨房です。下働きは、まだまだ続きますよ」
「……はい」
素直な返事でした。
医務室を出る前、殿下はもう一つ尋ねました。
「……ロッテは、元気か」
「餌を食べたそうですよ。ヨハンが、代わりに世話をしてくれました」
「そうか。……よかった」
自分の査定より先に、馬の心配をする。
ゼロ点の男の顔は、少なくとも、来た日の王子様よりは頼もしく見えました。
――第一部・期末査定:合計0点(礼儀55/謝罪10/傾聴−20/労働25/金銭−40/責任−30/危機対応0)。特記事項。
「使用人たちに『ルーさん』と呼ばれ始めた。出発点に到達」

