事件は、公式晩餐会の当日の朝に起きました。
季節の変わり目の風邪が宮殿に広がり、厨房と給仕の合わせて七人が欠勤したのです。相手は隣国の使節団、四十名の公式晩餐。人手は、普段の三分の二しかありません。
朝の執務室で報告を受けた時、マルガレーテが言いました。
「殿下、今日は推挙したい者がいます」
「誰です」
「ルシアン殿下。……あの人の、人と段取りの記憶は本物です。今日の給仕全体の配置を、彼に任せてみては」
実は、ゴードンからも直談判がありました。
「あの小僧を使わせてください。手は三流でも、頭は廚房の誰より回る」
料理長が人を「使わせてくれ」と言いに来る。これは、厨房での彼の働きが本物だったということです。
私は頷きました。
「試験として、許可します」
かくして殿下は、その日一日、給仕統括の任に就きました。
彼のやり方は、見事でした。
まず、残った全員の「できること」と「できないこと」を聞き取りました。
洗い場のアンナは手の関節が悪いので、座ってできる銀器磨きへ。腰の悪い中年の給仕は、立ったまま動かなくて済む配膳口へ。緊張しがちな若い給仕は裏方の盛り付けへ、逆に愛想のいい者は客席担当へ。
「……全員の事情を、覚えていたのか」
「厨房にいたのは、ほんの少しだぞ」
驚くゴードンに、殿下は当たり前のように言いました。
「一緒に働いた人のことは、覚えるだろう」
そして馬房のヨハンの元へ自分で頭を下げに行き、若い馬丁二人を「今夜だけ」借りてきました。
「ルーからの頼みなら、仕方ねえ。――ただし、あいつらを粗末に使うなよ」
「分かっている。ありがとう、ヨハン」
借りた二人には、運搬だけを任せました。慣れない者に、慣れないことをさせない。それも段取りのうちです。
晩餐会は始まりました。
序盤、緊張で固まってしまった若い給仕がいました。盆を持ったまま、どの卓へ行くべきか分からなくなっている。殿下は彼の隣に立ち、盆を半分受け持ちながら、小声で言いました。
「三番卓。右端が団長で、魚が苦手。左の二人は辛いものが平気。――行けるな」
「は、はい!」
各卓の客の好みまで、彼は全部覚えていたのです。初めての来客の顔と好みを、一度の紹介で。
中盤、焼き物の到着が遅れる事故がありました。厨房から呼ばれる殿下。私は客席から、成り行きを見守ります。
彼は慌てませんでした。給仕の一人を客席対応から裏方に回し、遅れている間に前菜の追加と飲み物の巡回を増やして「間」を埋め、自分は最も忙しい配膳口に立ったのです。
しかも――ここが以前と違うところでした――彼は、交代で全員に休憩を取らせていました。自分も含めて。
「……ルーさん、あんたも少し休みな」
「ああ、この巡回が終わったらな」
実際、彼は本当に休憩を取りました。水を飲み、五分座る。それだけのことを、「サボり」でも「根性不足」でもなく、段取りの一部として組み込んでいた。
馬房で倒れた男は、もういませんでした。倒れる前に休むことを、彼はやっと覚えたのです。
晩餐会は、滞りなく終わりました。
客席では、小さなことが起きていました。使節団の一人が、給仕統括の青年を見て、隣に囁いたのです。
「あの青年は……フェルディアの元第一王子では」
「まさか。あれほど見事に厨房を回す王子が、どこにいます」
私は杯を口に運びながら、少しだけ笑いました。
あの青年が本当に元第一王子で、今夜の段取りの見事さは、彼が使用人の名前と事情を全部覚えているからだとは、誰も思いません。――少しだけ、誇らしい気分でした。私の拾い物ですから。
使節団の団長は帰り際に、給仕の見事さを褒めたそうです。厨房ではゴードンが、腕を組んで言いました。
「お前は厨房の人間というより、指揮官の向きだな」
「……指揮官」
「人を覚えて、人を置く。それがお前の腕だ」
終わった後、殿下は厨房裏の階段に座り込んでいたそうです。バルバラが賄いの残りを持っていくと、彼はぼんやりと言いました。
「人を置くのは、思ったよりずっと疲れるな。……でも、悪くなかった」
「あらまあ、殿下がそんなことを」
「昔の俺なら、全員に『頑張れ』としか言えなかったと思う」
翌日は、見習い給金の日でした。
殿下は給金袋を開け、硬貨を一枚ずつ数えました。王子時代、彼が財布を開くことは滅多になかったはずです。硬貨の重さを知る手つきは、まだぎこちない。
その給金からは、帯の染め直し費用の第一回分が引かれました。残りは、ささやかな額。
その日の夕方、厨房に小さな包みが届きました。街の茶店の、安い焼き菓子。差出人は、ルー。
「昨日の礼だ。みんなで食べてくれ。……これしか買えなかったけど」
初給金の残りは、ほぼ全部それに消えたそうです。
厨房の連中は文句を言いながら、嬉しそうに菓子を分け合いました。アンナが笑って言ったそうです。
「ルーさんは、給金の使い方まで下手くそだねえ。――褒めてるんだよ」
計画性は、まだありません。来月の弁償の引き落としを考えれば、残すべき額でした。ですが、初めて稼いだお金を、初めて「誰かのために」使った。その事実は、点数以上に大事な気がしたのです。
私は、その報告を聞いて微笑みました。
金銭の点数は、まだまだでしょう。けれど、お金の「向き」は、少しだけ分かり始めたようです。
――本日の査定メモ:危機対応と責任に特記事項。「人手不足の晩餐会で給仕統括を務め、完遂。配置の才は王配の仕事そのもの」。参考記録。「初給金の残りを、厨房の全員への礼に使った」。

