断罪された悪役令嬢ですが、神様のハッピーエンドなんてお断りです〜私を救ったのは死神公爵でした〜

 翌朝、アズリアはいつもより少し早く目を覚ました。窓から差し込む朝日が、部屋の中を柔らかな光で満たしている。

 昨夜は夢を見ることもなく、ゆっくりと眠れた。彼女が、あの奇妙な夢を見たのは馬車の中での転寝(うたたね)の時だけで、今はもう、ただの夢のように薄れつつあった。

(……今日は、ルキフェルと庭園を歩く約束をしてるんだよね)

 昨日の晩餐のことを思い出し、アズリアはベッドの中で小さく身じろぎした。彼が提案してくれた約束に気分がソワソワとしてくる。

(……こんなに楽しみだなんて)

 彼女にとってルキフェルはゲームの中で何度も見た、大好きなキャラクターだ。だから、彼と過ごす時間は浮き足立つし、楽しい。けれど、そうして一緒の時間を過ごすうちに、彼女はルキフェルをゲームの登場人物だと思えなくなってきた。同じ現実を生きる人間だと感じるようになってきたのだ。

(それが、良いことなのか悪いことなのか、まだ分からないけど)

 微かに眉を寄せてアズリアが寝台に身を起こすと、傍に控えていた侍女が身支度を手伝ってくれた。

 今日はアズリア一人での朝食のようで、ルキフェルと会えないのが寂しいような気持ちになりながら食事を終えた。そして庭園へと足を向ける。

 庭園には今日も花々が咲き誇っていた。その向こうの東屋に、黒い髪の男性の姿が見えた。

「ルキフェル様、おはようございます」
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで」

 答えながら、アズリアは自然と微笑んだ。ルキフェルはしばらく彼女の顔を探るように見ていたが、やがて小さく頷いた。

「それならよかった」

 その声は、いつもと変わらず低く落ち着いている。けれどアズリアは不思議と、その声が労りと安堵に満ちていることが分かった。

(……安堵?)

 労りは、まだ分かる。彼は最初から彼女に優しかった。けれど安堵されるほど、危険な目にあった記憶はなくて、アズリアはゆっくり首を傾げた。

「どうした?」
「……昨日の約束を覚えていてくださったんだなと思って」

 そのまま聞いても答えてくれない気がして、彼女は、ゆるゆると首を振って本心を隠した。その様子にルキフェルは口の端を上げつつ、不機嫌そうな目でアズリアを見た。まるで彼女が何かを隠していることには気づいているかのように。
 
「……俺から誘ったんだ。当然だろう」
「そう、ですね」

 当たり前といった様子のルキフェルに、アズリアの胸の奥が温かくなる。ルキフェルはそんな彼女の様子に、不機嫌さを消して庭園の奥へと視線を向けた。

「少し歩くか?」
「はい」

 頷いたアズリアにルキフェルが手を差し出した。その手を取るべきか、アズリアは少し悩む。

 婚約を破棄され、社交界では悪評が広まっている令嬢——それが今のアズリアだ。

(そんな悪役令嬢(アズリア)が、ルキフェルと親しげに歩いているところを誰かに見られたら? ……これ以上ルキフェルの評判を……落としたくない)

 あの夜会から連れ出してくれた時点で、ルキフェルも悪評の標的になっているだろう。けれど、これ以上は必要ない。

(……なら、距離を置くべきだ)

「……アズリア?」

 手を差し出したままのルキフェルが、怪訝そうにこちらを見た。

「……申し訳ありません」
「何を謝っている」
「その……」

 どう説明すればいいのか悩んで、アズリアは言い淀む。

(貴方の隣にいれて嬉しい。でも、私が隣にいるせいで、あなたに迷惑がかかるのは……やっぱり、嫌)

 そんなことを口にすれば、彼は困ってしまうだろう。

「……実は、少し体調が悪くて。今日は部屋に戻りますね」

 結局、口から出たのはそんな言葉だった。ルキフェルの眉がわずかに寄る。

「なら、部屋に送ろう」
「……いいえ。侍女たちもいますし、一人で戻れます」

 何も気づかず、彼と過ごすことが出来れば良かった。けれど、彼には幸せでいてほしいのだ——好きなキャラクターだからではなく、一人の人間として。

(私がそばにいることで、その幸せを損なってしまうのなら……少し離れたところから見守る方が、いい)

「お前は、何を気にしている?」

 アズリアの心を見透かすような目でみるルキフェルに、決意が揺らめいた。沈黙の中、見つめ合うこと、しばし。先に折れたのはアズリアだった。

「……私は婚約を破棄されました。社交界での評判も、決して良いものではありません」
「それがどうした」
「……私と親しくしていることで、ルキフェル様まで悪く言われるのではないかと」

 アズリアは彼の視線から逃れるように、顔を背けた。その彼女の傍にルキフェルが歩み寄り、彼女の頬に優しく手を添えた。逃れていた視線が、また縫い止められる。
 
「俺が、そんなことを気にすると?」
「それは……」
「他人が何を言おうと、俺には関係ない」

 ルキフェルは、迷いなく言い切った。その目には真摯な光が宿っていた。

「そもそも、お前をここへ連れてきたのは俺だ。お前の評判を知らなかったわけでもない」
「……はい」
「だから、お前が余計な心配をする必要はない」

 はっきりとしたルキフェルの宣言に、何の解決にもなっていないのに頷きたくなる。

「……お前が、俺と一緒に歩きたくはないというなら、諦めるが」

 すぐ傍にいるアズリアにだけ届いた囁き声に、とうとうアズリアは頷いた。

「……私は、ルキフェル様と一緒に歩きたいです」

 彼と一緒に歩きたい。……できることなら、ずっと彼の隣にいたい。
 たった数日で自覚させられた恋心にアズリア自身、戸惑う。
 そんな彼女の頬の赤さを見て、ルキフェルは嬉しそうに口の端を上げて、手を差し出した。

「行くぞ」
「……はい」

 アズリアはそっと、その手に自分の手を重ねた。大きくて、温かい手だった。その感触に、胸がどきりと跳ねる。

(……ああ、ほんとに)

 これは、いけない。
 こんなふうに優しくされてしまったら、ますます好きになってしまう。

 そう思うのに、彼の隣を歩く時間を、手放したいとは思えなかった。